翻訳者の書斎から 9 翻訳の喜び

ホーバード 豊子
翻訳者。単立 主イエス・キリスト教会 会員

 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1:1)

  「翻訳」の仕事をする中で、私なりに見出したいくつかのかけがえのない楽しみや発見があります。まずは原書との出会いです。新しい作品と出会うたび新しい世界に触れることができ、そこで感動したことを、他の人々と分かち合いたい、という願いが与えられます。

 絵本『たいせつなきみ』の原書「You Are Special」との出会いは、神さまから与えられた忘れがたい出来事でした。原書を読み終えた後の感動が、「訳さなければ」という思いに私をかりたてたことを、今でも思い起こすことができます。

 その感動と著者のルケードが伝えようとしているお話の内容を、自分の言葉で表現する作業は、きちん机に向かって、こつこつと辞書を引く、それまで私が抱いていた「翻訳」の堅いイメージとは、はるかにかけ離れたものでした。アメリカにいて、日本語の読み物が極端に限られていた環境におかれていたことが、かえって益となって、自分の中に蓄えられていた「ことば探し」は、心の内側の力が躍動するようなダイナミックさを味わせてくれました。原文の淡々とした雰囲気に加えて、文章が短いだけに、一言もおろそかにすることはできません。不思議なことに、その作業は、信仰生活の歩みとどこか似通っていることを発見しました。それは、自分が歩んできた人生の中のあらゆる状況や経験が、何一つ無駄になることがなく、そうした出来事を通して自分の内に培われてきた「ことば」が生かされているという点でした。英語に「put yourself in someone else’s shoe」(人の身になる)という表現がありますが、自分を登場人物と置き換えて、登場人物の心のあり方を探ってみることは、まるで「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(ローマ13:9)のトレーニングのようでもありました。私がパンチネロなら、この場面ではきっと、こんなふうにつぶやくだろうか、エリがパンチネロに話しかけるときは、こんなふうだろうか、と原文にふさわしい「ことば探し」は、いつの間にか楽しみとなっていきました。

 原文という限られた範囲があり、絵によって先に作り出されている雰囲気はありますが、その中で自由に表現していいのですから、絵を描いている課程にも似ていると感じました。絵の具を濃くしたり、薄くしたりするように、ことばを足したり、引いたりしながら、作品と向かい合い文章を完成させていくのです。「翻訳」のおもしろさ、喜びを味わせてくれた、ということができるかもしれません。 日本で暮らしていれば、ふだん何気なく使っている日本語ですが、文章を生き生きさせたり、台無しにしてしまう「ことば」の持つ力や奥深さを実感しました。文芸書の場合、一冊の本の世界に入っていく度に、違った登場人物の心理を体験することができるのも、楽しみの一つです。

 第二作目の『そのままのきみがすき』(「Just The Way You Are」)の翻訳の依頼を受けたのは、翌1999年の秋のことでした。在米中、出版社の方から、「ぜひ、ルケードの他の作品を見たい」という声があり、紹介した「Children of the King」の改訂版です。イラストが、トニー・ゴッフェ から『たいせつなきみ』を担当したセルジオ・マルチネスに変わり、アメリカで改訂版が出されるのを待ってのことでした。当時、私は愛知県に住んでいて、思いがけず父が末期癌の診断を受け、病状が進行し、緊迫する中、名古屋と大阪の実家とを週に一、二度往復しながらの翻訳作業でした。さすがに「ことば探し」を楽しむ余裕はありませんでしたが、出版社の方からあたたかい励ましとお祈りをいただいたことや、闘病中だった父から励ましを受けたことなどが、心に残っています。まだ日本の暮らしに不慣れだった夫も、祈りをもってあたたかく見守ってくれました。

 どちらの作品も、自分の言葉に置き換えることを許され、今も、多くの日本の読者の方々と、同じ感動を分かち合わせてくださっているすばらしい神さまに、心からの感謝をささげます。