聖書翻訳の現場から 聖書翻訳の困難さを超えて


鳥羽 季義
日本ウィクリフ聖書聖書翻訳教協会 南アジア派遣

一、 より正確なみことばを

 この度、多くの方々の努力により新改訳聖書が改訂されて出版されることを喜んでいる。新改訳聖書が教会で用いられて三十八年が経過した。その間にも改訂され、所々新しくされたが、この度、新旧約聖書の中の九百節の改訂が行われたというのは相当の数だ。

 さらに、よみやすく、こころにやさしいことばを用いたこと、そして新しい研究の成果を盛り込んだ翻訳というから至れり尽くせりというべきであろう。

 世界のおもな言語でも改訂をくりかえし、時代に応じてばかりでなく、学問的にも耐える翻訳として努力されて、限りなく原読者が得たメッセージに近い聖書へと接近していることは喜ぶのは私一人だけではないだろう。

二、ココナッツのような白さ?

 聖書は、だいたいが砂漠の世界で書かれた書物なので、自然の考え方も文化も日本や他の所と大変異なる。

 たとえば聖書を読む人々の中には雪を見たこともない人もいる。その人に「雪より白くなる」と言ってもわからないので南インドのある言語では「罪は緋のように赤くともココナッツの中の白色のようになる」と訳したそうである。文語訳「緋のごとくなるも」に「赤く」と補足しなければ赤さが分からなかった自分を思い出す。なぜなら、緋が何か分からずに読んだのだから。辞典を調べて初めて緋は「火のような赤」だと知ったほどだ。

 また、聖書の背景にあるユダヤ的な考え方では人体用語を使い感情や思いを表現することがある。マルコ一四章三四節では「魂」をいれるべきか議論されてきた。

 「魂」はヘブル語で「ネフェシュ」といい、「のど」「くび」「欲望」「命」「魂」「ひと」など広い意味を含んで使われ、神の前にたつ人間の側面を強調するという。それを訳して全部の意味内容を表すのは容易でない。新改約聖書では「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです」(新共同訳聖書もほぼ同じ)と訳している一方、フランシスコ訳は「わたしの魂は悲しみのあまり死ぬほどである」と魂を残している。

 翻訳は解釈の表われだと言われる。原意を訳す言語に同じ思想を移す作業であるが、その過程で解釈がなされ、受容言語にて表現する訳だ。解釈する立場の違いによって表現が異なることも多い。特に訳者の神学的な考えに支配されることがあるため訳文を何人かでチェック(審査)するのである。一度訳し終えるとそれで十分ということは決してない。

 旧約聖書の翻訳においてはこうした問題は少なくない。また、原典において意味不明な語にあって様々な言語のつづり合せがなされてきたが文脈でも判断に苦しむ所がある。それでも近年原語に近い言語の研究が進み新しい理解を得ている。

三、教育の普及で広がる聖書翻訳

 今日の聖書読者ほど恵まれている時代はないだろう。世界の主要な言語のみならず、二千四百語以上の言語にみことばは訳されている。民族移動も頻繁になり、人々が外国語を学ぶ率も高くなり、母語以外の言語を理解できるようになった。自分の母語や公用語など読む機会が増している。それにより人々の見解が広まると同時に、聖書理解も増してきた。

 以前は宣教師たちが奥地の村に入って、聖書を現地で使われている言語に訳し手渡したが、今や世界中で現地人が母語に訳すことのできるほど教育が普及したのと共に、教育水準が高まりつつあることは喜ばしいことである。

 それだけでなく、一度訳された聖書全巻あるいは新約だけの場合でも何年も使った後、改訂されることが多い。これにより、翻訳したみことばがより正確なものとなるだけでなく、わかり易い作品と変えられ、多くの人に読まれて生命を神から与えられる機会が増してきた。まさにみことばが全地に満ちて来る時に戻ったようだ。願わくは改訂された新改訳聖書が日本で広く用いられ、この国に一層強く御国が来ますよう祈る。

四、今日の聖書翻訳の状況

 聖書は神のことばであるから、どんな困難があろうともすべての言語に訳さなければならないと、世界聖書教会連合、ウィクリフ聖書翻訳協会、および各宣教国で聖書を訳す団体を通して働きが今日まで続けられてきた。そして個々になされてきた翻訳活動も今ではそれぞれ手を取りあって協力した形で働きを進めている。言語習得と翻訳専門訓練のためウィクリフは各地に訓練場を開き、いかなる団体や翻訳者たちをも受け入れて教育している。特に最近は宣教地の母語翻訳者たちを訓練し、ウィクリフの宣教師はコンサルタントとして現地の方々を指導し、いずれ宣教師が入るのに困難な所へも現地宣教師たちがみことばを運ぶ器として用いられる時代となっていることもうれしいことだ。そのために私たちは最善を尽くて訓練指導に当たる今日このごろである。

 ウィクリフはその姉妹団体を通してアフリカ七百言語、アジアで約七百五十言語、太平洋地区で九百言語程合計千三百あまりの言語の翻訳活動に協力してきた。他の団体も五百言語位の翻訳が進められていることを推定することができる。

 このように世界中でみことばが訳され伝えられることを思うと、確かに終末が近くなっていることがわかる。それを早めるため、すべての教会とキリスト者が祈り協力して働く時が来ているのではないか。

 主よ、きたりませ。