自分の生と死を看取る生き方 第2回 人生は選択の連続
近藤裕
サイコセラピスト、教育学博士(臨床心理)、元・百合丘キリスト教会牧師、現ライフマネジメント研究所長。西南学院大学卒。米国に留学(1957~59,1968~71年)。在米生活17年。
著書に「自分の死に備える」(春秋社)、「スピリチュアル・ケアの生き方」(地湧社)などがあり、著書は90冊を超える。
人生において出会う様々な出来事。喜びや悲しみをもたらす出来事。人生は出来事の連続です。そして、その出来事に対する対応の仕方は実に十人十色。その対応の仕方の選択によって人生は大きく左右されます。
長年のカウンセリングの臨床の中で、人生の様々な出来事に対して、人はそれぞれに異なった対応をすることを見てきました。同じ出来事に対して、ポジティブに反応する人、ネガティブに反応する人を見てきました。 ある人は、自分に降りかかってきた不運な出来事として受け止め、嘆き、悲しみ、あるいは、神を呪う人もいます。なかには、自分を責め、自責の念に苛まれ、病を招き、絶望的になり、自ら命を絶つ人もいます。
ポジティブに受け止める人は、現実と対面し、受容することが出来るので、辛い体験でも、それに耐え、その出来事を自分の成長の糧とし、健全な人生の生き方の指針や知恵を学びとるのです。
数年前のあるピアノコンサートの会場(日本障害者ピアノ指導者研究会主催、略称IPD)で桑原恵・良恵(当時二十三歳)親子に出会いました。良恵さんはいくつもの障がいを持って生まれたのです。一つが強度の視覚障がい。生後一か月で手術を受けましたが失明。また、骨の病気のため四肢に湾曲があり、長さが違う。軟骨障がい、言語障がい、難聴という複合障がい。それに身体の発育不全のために背丈が低い。一人で歩くのも容易ではありません。
このような複合障がいを持った子を産んだ母親の心痛、苦労は計りしれません。
小さな体につぎつぎと襲い掛かる病気。親子共々に苦難に満ちた闘病生活の苦労は他人が察しきれるものではありません。良恵さんの忍耐力、お母さんの健闘振りにはただただ頭が下がります。
お母さんは、良恵さんの変形した左手の指の訓練も兼ねて、七歳からピアノを習わせました。やがて、盲学校に学び、高校では音楽を専攻。良い教師に恵まれ、ピアノの技能を修得し、ピアニストとして羽ばたくほどになったのです。様々なコンクールに挑戦し、いくつもの賞を受賞するほどに成長。二〇〇七年にはピアノ・パラリンピックのデモンストレーション・コンサート イン 国連本部とカーネギーホールでのコンサートに出演。二〇〇九年の一〇月にはバンクーバーでの「第二回国際ピアノフェスティバル」に出演し、銅賞を受賞しました。
桑原良恵さんをはじめ、IPDの活動によって支えられ、「不可能を可能にする」証人としてピアノの演奏が出来るようになられた人たちは、私には皆、天使に思えます。「天使」とは、天からの、全てのいのちの創造者からのメッセージを託された使者です。良恵さんは、「私にとって、障がいは個性です。音楽は私にとって大事な宝物になりました。音楽を通して多くの人たちとの出会いがあり、その出会いによって多くのことを学ぶことが出来たからです。生きるということについて学ぶ機会を与えられました。音楽、ピアノは私に翼をくれました」とおっしゃっています。
病によって失明した良恵さんに、神様は人の心を見る眼、美しいものを心で見る眼を与えられたのです。不自由な肉体にピアノという音楽の翼を与えられ、「希望と夢の調べ」を奏でるために世界に羽ばたくことを可能になさったのです。
良恵さんは今、求めに応じてどこにでも演奏にでかけています。小、中、高の生徒たちの集いで、コンサートの会場で。体は健常であっても心が萎えている人たちの心を癒し、生きる勇気を失くした人たちに希望と夢を、困難に立ち向かう気力を失っている人たちにチャレンジする勇気を与えるメロディーを奏でています。
桑原良恵さんをはじめ、IPDの活動を通し、障がいを乗り越えてピアニストに育ち、「不可能を可能にする歓び」を人びとに伝えるメッセンジャーとしての働きをしておられる人たちに、私たちは、人生をポジティブに生きる知恵を多く学ぶことができるのです。
人生における選択。その選択が人生の幸、不幸を決める。人生において避けることが出来ない病、老い、そして死を迎えることも、選択の仕方によって、その結果が大きく左右されるのです。