自分の生と死を看取る生き方 第4回 老いを自分らしく生きる

近藤裕
サイコセラピスト、教育学博士(臨床心理)、元・百合丘キリスト教会牧師、現ライフマネジメント研究所長。西南学院大学卒。米国に留学(1957~59,1968~71年)。在米生活17年。

 著書に「自分の死に備える」(春秋社)、「スピリチュアル・ケアの生き方」(地湧社)などがあり、著書は90冊を超える。

 昨年の末からマレーシアのクアラルンプールに三か月滞在し、当地でロングステイしている邦人たちの生活の一端に触れることができました。 クアラルンプールやペナン島などには、年金暮らしでゆっくりした人生をエンジョイしている高齢の邦人が多く居住し、日本人コミュニティを形成し、多種多様な趣味の集いも連日開かれているのです。気温も温暖、生活費も安い。ゴルフ族には素敵なゴルフ場が多くあり、まさにゴルフ天国。 その一方で、「ゴルフだけの人生なんて飽きちゃう。飽きちゃった夫と外国でロングステイはご免です!」という妻を日本に残し、シングルライフを送っている高齢の男性も少なくないのです。 老いの生き方の選択は、これまでの夫婦関係の質によって大きく分かれます。高齢期を迎えた日本人夫婦は、「向き合っている夫婦」と「向き合っていない夫婦」の二つのタイプに分けられるようですが、このうち「向き合っていない夫婦」がかなり多いように思います。 「向き合っていない」とひと言で言っても、実態は複雑。「向き合いたくないから向き合っていない」「向き合いたいとは思っているが、向き合っていない」「向き合う努力はしているが、うまく向き合えない」と、その中身は異なります。 このうち、日本に多いのが「向き合っていないから夫婦でいられる」というカップルです。つまり「向き合ったら夫婦でいられなくなるから、向き合うことを避けている」という不思議な夫婦が日本には多いようです。 幸福学の第一人者といわれるオランダのR・ビーンホベン教授の調査によると、日本人の「人生の満足度」は世界で六十位。その主な要因は、集団主義が強い日本では、人生の選択肢が狭いからだといいます。日本の女性は若いときには男性より選択肢が広いので、幸福度は高いが、中年以降になると逆転していると指摘しています。 とはいえ、わが国でも、人生の選択肢を広げ始めている中高年の女性が増えていることも事実です。少なくとも、そういう女性がマリッジ・カウンセリングの臨床の場で増えてきているのです。 子育てを終え、訪れてきた「夫婦の時間」のこれからの二十年、三十年の人生をどう生きるか、「おふたり様夫婦」としてどんな夫婦像を求めていくのか。真剣に模索し、「向き合って話し合う」夫婦には、明るい、幸せな将来が待っているのです。 高齢期を迎え、二十年から三十年続く「おふたり様夫婦」の人生を「不幸だ!」と嘆きながら日々を過ごすのも一つの選択ですが、そのような生き方は病を招き、死を早めるという結果を招きます。「幸せな老い」を生きる選択に必要な課題。中高年において欠かせない人生の主な課題は次の三つです。(一)人生の統合これまでの人生を振り返り、価値観、世界観を整理、統合し、自分の人生を主体的に生きる決意を固める。(二)死生観の確立高齢に伴い避けることのできない病、老い、身体的・社会的機能の喪失体験を通して、自分の死生観を確立する。(三)夫婦関係の調整これまでの夫婦関係の振り返りと現状の分析を通して、問題点や将来への課題を明らかにし、問題の解決、関係の改善に取り組む決意を固める。 これらの課題のうち「夫婦関係の調整」が中高年期の最大の課題であると思います。結婚している人には欠かせない課題です。老いの生き方が大きく左右されるのですから。聖書の創造の記事にも、女性が男性に「ふさわしい」存在として造られたと言われています。ここには、対応する、適合する、向き合うというような含みがあるのです。 「結婚~いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことがない荒海」、ドイツの詩人ハイネの言葉です。人生の荒海を乗り越えるためにも、夫婦が手を取り合い、向かい合って生きていかなければなりません。