自殺の苦しみに福音は届くのか 関連書籍さわり読み──
『あなたを、ひとりで逝かせたくなかった』(仮題)
―愛する人を自死で喪った悲嘆が癒されるまで
アルバート・Y・ヒュー著
その知らせを受けたのは、木曜日の朝のことだった。
私は勤めに出かけるしたくをしながら、楽しみにしている週末のことを考えていた。妻のエレンとともにミネソタの友人の結婚式に参列したあと、同じミネソタの実家に寄るつもりだったからだ。もうお土産も用意していた。その中には、母のために私たちの結婚式の写真を引き延ばしたものや、父への書籍も含まれていた。
ほかに、両親に見せようと結婚式のビデオもコピーしてあった。エレンと私はその九か月前に結婚していた。ビデオテープにはラベルが貼ってなかったので、これで間違いないか確かめるためにビデオデッキに入れ、最初の数秒ほどを再生してみた。チャペルの通路を案内される母の姿と、あとに続く父の後頭部がちらっと見えた。私はビデオを止め、テープをケースに戻した。
そのとき、電話が鳴った。こんなに朝早く誰だろう――私は首をひねりながら、エレンに、ぼくが出るよと声をかけた。
受話器の向こうから聞こえてきたのは、うめき声とも泣き声ともつかぬ、人のものとも思えないような声だった。いったい誰なんだ? 間違い電話だろうか? そして私は、それがひどく取り乱した母の声であることに気づいた。恐怖と悲しみに母親の声はひきつっていた。
「お父さんが自殺したのよ!」母は叫んだ。
「なんだって!」私は聞き返した。「どうしたんだい、母さん、何があったんだ!」
しかし、母の声は電話から遠ざかり、受話器からは母のむせび泣く声だけが聞こえた。お父さん? お父さんって誰だ? ぼくの父親のことか?
(中略)自殺という手段を用いる人の多くは、鬱や苦しみの中にあって、自分はまったくのひとりぼっちだと感じている。誰もいない、自分の気持ちは誰にもわかってもらえないのだと……。実際は、同じ思いや苦闘を共有する人は大勢いるのだ。もしも彼らが、自分と同じ状況に身を置く人々のいることを知っていたら、生き続ける希望を見いだせたかもしれない。同様に、残された者たちも、自分の気持ちは誰にもわからないという嘘を信じてはならないのだ。この深い精神的外傷(トラウマ)を抱えているのは私たちだけではない。他の人々も同じ悲劇を経験し、嵐を乗り越えてきた。彼らが生き続けてこられたのだから、きっと私たちにもできるはずだ。