自殺は止められる 最終回 愛する人の自殺
碓井真史
心理学博士
あなたは、身近な人の自殺を経験したことがあるでしょうか。調査によれば、今までの人生の中で家族や知人など身近な人の自殺を経験したことのある人は、二○パーセントに及びます。
たった今、友人の自殺を知ったと、ガタガタと震えながら私の所に来た女子学生もいました。隣の家のお父さんが自殺した、その前日、いつになく子どもと遊んでいた姿が目から離れないと語る人もいました。同僚が自殺し、その前になぜもっと強く病院を受診するように勧めなかったのかと、自分を責めている人にも会いました。夫が自殺し、自殺したことはもちろん、亡くなった事実さえ近所には秘密にし続けている女性。子どもとの会話でも父親の話はタブー。誰もその話題に触れないできたそうです。そうして、私に向かって「夫を殺したのは私です……」と絞り出すように話していました。仕事がとてもつらいと夫がこぼしたときに、きちんと相手をしなかったそうです。
そして、子どもの自殺という事実を前に、悲しむことすらできない親たち。死因を秘密にし、むしろ明るくふるまっている母親もいました。その姿は、交通事故で亡くなった子どもの棺にしがみつき、泣き崩れる親の姿とは対照的です。
愛する人との死別を経験するとき、その悲しみと苦しみから少しずつ回復している心の作業を「グリーフワーク(喪の作業)」と言います。これは、何年もかかる作業です。特に「突然の死」は、大きな苦しみです。グリーフワークでとても大切なことは、しっかり悲しむということです。悲しむことはつらいことですが、必要な作業なのです。悲しみのどん底から、長い長い年月を経て、ゆったりと故人の思い出を語ることができ、新しい生き方をつかんでいくためには、多くの涙が必要なのです。
自殺の場合、苦しみはさらに深くなります。自殺遺族の三つの大きな苦しみは、死自体に伴う悲嘆、突然の死に伴う否認(事実を認められない)と「なぜ?」という苦しみ、そして自殺という死因に伴う自責感と怒りです。そのうえで、人々から受ける二次的な心の傷があります。
自殺は、確かに神に喜ばれることではありません。予防できるし、予防すべきです。しかし、自殺は避けるべき「罪」だと断罪すればよいのでしょうか。家族にはその人を罪に追いやった責任があるのでしょうか。周囲は自殺のサインにもっと敏感に気づくべきだったのでしょうか。遺族は、さよならの言葉もない不条理な突然の自殺に苦しみながら、さらに好奇の目や心ない言葉にさいなまれ、善意のアドバイスにすら傷つきます。
自殺遺族、自殺で遺された人々は、激しく自分を責めます。安易な慰めの言葉で傷つきます。自殺予防のキャンペーンに触れて、予防できなかった自分に苦しみます。この悲しみと苦しみを誰にも話せないことで、苦しみます。この世の様々な苦しみの中で、最も大きな苦しみは、人に話せない苦しみです。
さて、このページでは、自殺予防について半年にわたって学んできました。冷静な状態で、自殺予防の方策を考える際には、学ぶことはとても役立ちます。しかし、すでに起きてしまった時には、こんな学びはほとんど何の役にも立たないでしょう。毎年三万人の人が自殺し、毎年何十万人の遺族が心が張り裂けるほどの苦しみを味わっているというのに。
それでも、こんなことは誰にも絶対話せないと強く思いながらも、その一方で誰かに聞いてほしいと、遺された人々は切望しています。初めにお話しした遺族の話は、カウンセリングルームで聞いた話ではありません。何かの機会に、私をつかまえて話してくれたことです。
耳を傾けることの大切さを、私の文章力では、十分に伝えきれないでしょう。でも、言わなくてはなりません。遺された人々の話を、どうか聞いてください。「私には何もできないけれど、何かあったら話してほしい。あなたの話を聞くから」と、心からの思いとして語ってほしいのです。自殺の直後だけではありません。遺族の心の時計は止まっています。何年経っても、心の傷からドクドクと血が流れ続けているのは、普通のことです。私たちは失敗を隠します。闇の部分は見せません。しかし失敗したからもうおしまいだと語るのは、神ではなく悪魔です。罪を犯した者に石をぶつけるのは、主にある兄弟姉妹ではなく、パリサイ人です。
「私があの人(夫)を殺しました」「父は私たちを置き去りにして逝ってしまった」「子育てに取り返しの付かない失敗をした」。そう感じている遺された人々の心の「ストーリー」をつむぎ直し、悲しいけれど、主の恵みの中のストーリーにしていくのが、真のグリーフワークなのでしょう。
誰かがあなたの所へ来たとしたら、あなたは選ばれた人です。「泣く者と共に泣け」。そのみことばの重さと意味を、もう一度考えたいものです。知識ではなく、あなたの魂のあり方が問われています。共に泣き、共に新しいストーリーを作っていく。考えれば考えるほど、その重さに押しつぶされそうですが、志を与える主は、必要な知恵と力と慰めも、必ず与えてくださるのですから。