自殺は止められる 第4回 子ども達を死なせないために
碓井真史
心理学博士
青少年の死は、私たちに大きな衝撃を与えます。彼らは、重い病気でもなく、経済的に苦しいわけでもなく、家族がいて学校には先生や友人がいても、自殺します。児童生徒の自殺動機に関する文部科学省の調査でも、半数以上が「原因不明」です。
青少年の自殺は、統計的に見れば大きな数ではありません。毎年三万人以上の自殺者の中で、二十代は約三千人、二十歳未満の未成年は六百人ほどです。それでも、前途洋々であり、死とは最も遠いところにいるはずの青少年達が、毎日自殺しています。青少年の自殺は、周囲の人々の心に深く突き刺さります。自殺者の後ろには、およそ十倍の自殺未遂者がいると言われていますが、青少年の自殺の後ろには、百倍から二百倍の自殺未遂者がいると推測されています。自殺未遂によって深く傷つく人々も大勢いるでしょう。
青年の自殺行動は、心理学的に見れば命を賭けた人生最後の賭けです。彼らの「死にたい」は、実は「生きたい」なのです。彼らは、本当は問題を解決して幸せになりたいと切望しているのですが、解決方法がわからず、孤独と絶望感の中で死を選ぼうとします。
若者達は、本当は生きたいと思っていますので、死に方にこだわります。彼らは、美しく死にたいなどと思います。また、しばしば時間のかかる死に方を選んだりもします。その結果、自殺未遂が多くなるのです。彼らの自殺行動は決して狂言(演技)ではなく、本人としては死を強く願っているのですが、彼らの言動を見ると、実際は生を望んでいることを感じます。自宅で何度も薬を大量にのみ自殺未遂を繰り返す女性や、屋上にいて「近づかないで、近づいたら飛び降りる!」と叫ぶ高校生など、彼らは本当は生きたいのです。自殺未遂によって、問題が明らかにされ解決することができれば、賭けに勝ったことになります。
自殺は、ある特定の青少年だけに見られるわけではありませんが、自殺の危険性が高くなりやすい特徴はあります。性格面で言えば、未熟、依存的、衝動的、完全主義的、孤立、抑うつ的、反社会的です。つまり、甘えん坊も、うるさいタイプも、真面目なタイプも、静かなタイプも、乱暴なタイプも、それぞれに自殺の危険性があるわけです。
自殺直前には、次のようなサインが見られます。自殺をほのめかす、別れの用意をする、過度に危険な行為に及ぶ、成績が落ちたり服装が乱れたりするなどの態度の変化、自傷行為などです。サインを見つけたときには、きちんと彼らに向かい合い、話を聴く必要があります。
小さな子どもの自殺の場合は、青年とは異なり確実な方法が選ばれることが多くなります。子どもの自殺の特徴は、衝動性、小さな動機、影響されやすさ、そして確実な自殺方法です。子どもは、まだ死の意味を深く理解していません。そのため、大人に怒られたという小さな動機で、ほとんどサインを出す間もなく、確実な方法で自殺に走ったりするのです。
青少年の自殺は、その親にとてつもない苦しみを与えるでしょう。ですから、傷ついている親を責めることはできません。ただ心理学的には、自殺する青少年には家族の心理的背景があると言われています。ひとつには、「取り替えのきく子ども」です。家族の中で、子どもが「かけがえのない存在」だと実感できないことが、自殺の危険性を高めます。また家族の「スケープゴート」になっている子もいます。家族問題の責任を負わされ、家族から責められている子どもです。
さらに、自殺の危険性の高い子どもの後ろには、「自殺の危険性が高い親」がいると言われています。親自身が充実した人生を歩めず、死にたい思いに囚われているとき、子どもにとっても死が近いものとなってしまいます。
子どもの行動の原因がすべて家庭にあるわけでもありません。精神的な病が関連していることもありますし、学校の問題が絡んでいることもあります。子ども達、青少年達の問題を解決しようと思うなら、本人が悪い、母が悪い、父が悪い、先生が悪いと、犯人捜しをすることを止め、この問題を私たちみんなの問題だと考える必要があります。
親の役割があり、学校の役割があり、教会の役割があるでしょう。青年達は幸せになりたいと願っています。彼らが希望を持てるように、弱さが出せるように、大人達の配慮が必要です。心が許せるのは、インターネットの自殺サイトだけなどというのは、悲しすぎます。大人は、伝統や立派な建物や社会的地位をありがたがりますが、青少年達にとってはたいした意味を持ちません。彼らは、本質をつきます。だれが真実を持っているのか、だれが本気になってくれるのか、死を考える青少年達の前で、大人達のあり方が問われています。
それでも、聖書のメッセージはシンプルです。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き一六・三一)。
私達大人が健康な信仰を持ち、喜びと感謝の中で命を輝やかせ、子どもを落ち込ませたり怒らせたりせず(コロサイ三・一六~二一)、その命を子ども達につなげていくのです。