自然エネルギーが地球を救う 第1回 プロローグ

牛山 泉
足利工業大学学長

二〇一一年三月十一日の東日本大震災による福島第一原発の事故で、原子力に依存するエネルギー体系の脆弱性と危険性に直面してから四年半、私たちは、新しいエネルギー体系構築の岐路にいる。
創世記1章28節に、「神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』」とあるが、人間にとって、とりわけ神を信じる者たちにとって、有限な地球のエネルギーを消費し尽くしてしまうのではなく、再生可能な形で活用し、いのちを大切にする持続可能な社会を構築していくことが求められている。

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二〇一五年七月に政府は二〇三〇年度の電源構成であるエネルギーミックスを発表した。これは火力発電でほぼ五〇%、原子力発電と再生可能(自然)エネルギーが、ほぼ同量の二二~二四%を占めるというものである。太陽光や風力など自然エネルギーが基幹電源となるビジョンを示しているが、わが国の自然エネルギーのポテンシャルや諸外国の状況を見ても、さらなる導入が可能である。一方、原発依存度を二〇%以上に維持するということは、四十年という運転期間を超えて、六十年まで運転するか、新規の増設を想定しなければありえないはずであり、脱原発を願う多くの国民の声に逆行することになる。
自然エネルギーの内訳は、水力八・八~九・二%、太陽光七%、バイオマス三・七~四・六%、風力一・七%、地熱一・〇~一・一%としており、コスト的にも量的にも主流となりうる風力を僅か一・七%(一、〇〇〇万kW)に抑えてしまっており、これは既設分と現在進行中の開発案件を合わせた量にとどまる低い水準にすぎない。今年の夏は例年にない猛暑日が続いたが、電力不足の声は聞こえてこなかった。これは節電効果に加えて、固定価格買い取り制度により太陽光発電の導入が進み、電気の安定供給に一定の役割を果たしたからでもある。
わが国は自然環境に恵まれている。日射量は多く、風力の潜在量も大きい。地熱発電の潜在量は世界第三位である。これら自然の資源を生かす工業力もある。わずか四%に過ぎないエネルギー自給率を三〇%程度には十分高めうるのである。欧米の先進的な国や地域では、電源構成のうち自然エネルギーは四〇%以上という数値目標が常識である。エネルギー源のほとんどを海外からの輸入に依存する日本にとって、純国産のエネルギーである自然エネルギーの導入拡大は、自給率を上げ、エネルギーの安全保障にも貢献することになる。また、二酸化炭素の排出がゼロであることは、地球温暖化対策にも有効である。自然エネルギーの欠点とされる天候による変動も、スペインのように気象予測を出力制御と連動させ、電力会社間の連係線を拡大強化することによって日本でも自然エネルギーはもっと大量に効率よく取り入れられるはずである。
自然エネルギーの導入拡大によりエネルギーの「地産地消」を進めれば、バランスの取れた賢くエネルギーを使う社会が実現し、競争原理と量産化でコストも下がり経済にもよい循環をもたらす。それぞれの地域が、そのエリアに賦存する自然エネルギーを生かすことによる「地産地消」のエネルギーシステム開発は、自治体が主体的に進めるべきである。かつて、大気汚染など公害問題が顕在化したときには、国より先に自治体が規制を行ったが、歴史的にも環境行政は地域主体のものであり、市町村レベルでの自然エネルギー導入拡大が期待できる。それぞれの地域が、その地域の特徴に沿った発電方法を選ぶことで、エネルギー改革が進むことになろう。筆者の経験では、強風に悩まされていた山形県立川町(現庄内町)で、町営風力発電を導入することにより「悩みの風を恵みの風」に変えるお手伝いをしたことがあり、NHKの番組「プロジェクトX」でも取り上げられたが、地方創生などと大上段に振りかぶらずとも、地域の課題を解決していくときに結果として地域は活性化するわけである。
「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」(エレミヤ6・16〔新共同訳〕)
今、日本の将来のエネルギー選択という重大な問題に直面して、私たちキリスト教徒に求められていることは、神の勧めに従って「さまざまな道に立って」考えることである。原発に代わるさまざまな代替エネルギーの可能性を視野に入れながら、どれが神の創造にかなっているのか、どの道が人間と自然の双方にとって「幸いに至る道」なのかを真剣に検討してゆくことなのである。