自然エネルギーが地球を救う 第4回 エネルギー利用の歴史

牛山 泉
足利工業大学理事長

人類のエネルギー利用の歴史を概観すると、火の発見に始まり、人力や畜力、そして風力や水力などの自然エネルギーを活用する時代が長く続いた。十八世紀に入り蒸気機関が発明され、化石燃料の利用と相まってエネルギー革命が起こり、これが産業革命の原動力となったのである。その後、十九世紀後半から内燃機関と発送電技術が進展し、モータリゼーションと航空機の出現、そして電化が推進されたことにより、私たちのライフスタイルは大きく様変わりしたのである。

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人間は火を使う動物であるといわれている。そして、火の発見は人類の大きな「エネルギー革命」であった。洋の東西を問わず、火についての伝説は多い。ギリシャ神話によれば、プロメテウスは天界の火を盗み出し、人間たちに火の保存法と利用法を教えたため、人類は闇と寒さから解放されたという。また、この火で食物を煮たり焼いたりし、たき火をして猛獣の来襲を防ぎ、さらに銅や鉄を製錬した。この大切な火を消さずに持続させるためには燃料を必要とするが、初めは火のつきやすい草、わら、枯葉などを用い、その後木材の時代が長く続いた。「おじいさんは山へ柴刈りに……」という童話・桃太郎のおじいさんは山へエネルギー源を取りに行ったのである。
さらに古くは旧約聖書の創世記に、ノアの箱舟にアスファルトを塗る、焼いたレンガでバベルの塔を造る、煙の立つかまどを造る、青銅や銅、鉄の刃物を鍛えるなど、紀元前二十世紀頃のエネルギー事情が記されている。こうした薪炭を主とした自給自足の時代から、工業が発展するにつれて、まず地下資源の石炭が探し出され、続いて石油・天然ガスへとエネルギー源が移り変わり、さらに二十世紀後半には、原子力が登場してきた。

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この燃料の変遷を見ると、人類はエネルギー源として質的に高いものを次々に求めてきたことが分かる。これはウラン燃料一トンが石炭三〇〇万トンに対比されることからも理解できよう。また、形態上からは、固体の薪炭や石炭から、液体の石油、そして気体の天然ガスへと進んできており、取り扱いの容易なエネルギー源を求めてきたともいえる。
最近では、地球温暖化防止の観点から、温暖化ガス排出量のより少ないエネルギー源が要求されるようになっており、石炭、石油から天然ガスへ、さらには炭素分を含まない究極の燃料である水素が注目されている。

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ここで産業革命期のエネルギー源を調べてみると、それまでの自然環境の制約を受けてきた、畜力や風車・水車の場合に対して、蒸気機関により燃料さえ確保できれば、どんな場所でも動力が得られるようになった。最初の蒸気機関はイギリスのニューコメンによって十八世紀初めに発明され、十八世紀末になって、ジェームズ・ワットが実用蒸気機関を開発したのである。そして、十九世紀の後半になり、明治維新の頃に人力や畜力に代わって蒸気機関が仕事をする時代が到来したのである。
しかし、当時の蒸気機関は、蒸気ボイラーが弱体で爆発事故も多く、きわめて危険であった。イギリスでは一八六〇年代から七〇年代末にかけて一万件もの爆発事故が起き、アメリカでも一八九〇年代初めから一九一〇年代末にかけて一万四千件もの爆発事故が起き一万人を超す死者と一万七千人もの負傷者を出している。
このような状況の中で、スコットランドの牧師スターリングとその弟が一八二七年に発明したのが安全で静粛なスターリング・エンジンであり、近年、再び脚光を浴びている。その後、十九世紀末には内燃機関が発明され、自動車の普及に加えて航空機の発展にも貢献することになった。さらに蒸気タービンや水力タービンの高効率化と大型化、そして二十世紀後半に至って原子力が使われるようになったわけである。

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「主を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいに会わない」(箴言19・23)とあるが、水力、風力、火力などは「自然」のうちにある力をエネルギーに変換するものであり、自然のうちにある法則によって、人間が制御することができるものである。これに対して、核エネルギーは人間の管理能力を超えてしまったものであり、原子力発電を廃止しても放射性廃棄物の脅威は超長期にわたって残り続けるのである。これは、技術以前に倫理の問題であろう。