草ごよみ 8 ヒルガオ
上條滝子
イラストレーター
ヒルガオは今でもごくありふれた道端の夏の草だ。街路樹の下植えの植物に絡まったりして咲くこのヒルガオの花が幼い頃から大好きで、六十五歳のこの年齢になっても、その同じ目でこの花を見ている自分に気付き、おもしろいものだと思う。
子どもの頃に育った家の庭に母は朝顔も育てていたから、小学校低学年の夏休みの宿題の絵日記に、一度や二度は「けさ、朝顔が咲きました。青がいくつ、赤がいくつ」などと朝顔を登場させた覚えがある。もちろん、見事に咲いた大輪の朝顔をきれいだとは思うけれど、絵日記に書くのは母が喜び、先生も良いと認めてくれるだろうからで、朝顔に対してはもう少し違う感じ方をしていた。花の色が強すぎるし、大きすぎるし、花弁は薄すぎてちょっと触っただけでも破れてしまうし、日が高くなればすぐにしょぼしょぼと萎んでしまう。
だからヒルガオの方が何倍も好きだった。今思えば、ヒルガオは子ども心にぴったりなのだ。やさしい薄桃色の花の大きさといい、形といい、あの小さなラッパ形をどんなに気に入っていたことか。そして、子どもの背を越して手の届かない所に咲くのではなく、ままごと遊びの敷物のかたわらで日中ずっと明るく咲いていて、夕方近くにゆっくりとラッパ形をつぼめていくのだ。それに庭の朝顔と違って誰のものでもないので、安心して気持ちはほとんど同化して遊んでいた。幼い子どもにとって身近に野の草の花がこんなに色々あることはうれしいことだと思わずにはいられない。