著者インタビュー 『乳がんだって生きていくあたし』
クリバリ・ユミコさん

――イラストレーターになったきっかけは?

 大学では美術を学びました。ファインアート系で純粋な芸術家を目指しました。しかし、アーティストになるためには才能や努力はもちろんのこと、変な話政治力も必要なことに気がついたんです。若かった私は反発を感じました。その頃、アルバイト感覚でイラストを描いたり、個展をやったら絵が売れたり、ああ、なんとなくこんな感じで好きな絵を描いてお金をもらえるなら、こういうやり方がベストなんじゃないかと思うようになったのです。

――本書は、病気の経緯と感想だけでなく、がんを告知された人のガイドブックにもなっていますね。

 流れを具体的に書くことによって意図したことは、ガイドをするというよりはがんの治療に「これだ」という正解はないということを描きたかった。治療法については日進月歩なので、現在はまた新しい考え方もあると思います。自分の生き方によって、納得する方法を自分で選ぶということの大切さをメッセージとして込めたつもりです。

――ガンという「死」と隣あわせの生活の中で、積極的になれたのはなぜだったのでしょう。

 死と隣りあわせだからこそ、神が私を創造された目的と使命を知り、その通りに生きたいと思うようになりました。この世のいのちは有限ですから、とにかく使命だと思ったらとりあえず悩んでいる暇はないと思っています。違うと分かれば、やめればよいわけですから。死を考えることにより、よりシンプルに考えるようになりました。

――洗礼を受けた時と、今とを比べると、信仰における変化は何かありましたか。

 洗礼はもう一度やりたいと思うくらい、素晴らしい体験でした。とても大きな変化を受けました。自分一人で頑張る人生から、神中心の人生に少しずつ変えられていきました。最初は神様からの愛を感じることがあっても、自分が神を愛するということが理解できなかったのですが、今は神を愛する気持ちを自然に持つことができます。

――娘さん達についても描いていましたが、この本の制作について、どんな感想をもっていますか。

 単純に自分たちが登場しているのがうれしいみたいです。本当に内容が理解できるのは、もう少し後かもしれません。

――「母の寿命」について、娘さんと話したりしますか。

 再発してからも、祈りと神の守りによって入院したり、長期間寝ついたりしたことが今までありませんし、人の手を借りながらもとにかく何とかやっている状況なので、子供たちは私の死についてピンと来ないみたいです。

 私はなんでも正直に話してしまう方ですし、がんで亡くなる人のドラマやドキュメンタリーなども一緒に見ますが、私のことについては神様が癒してくださると、心から信じていますね。だから私が老人になった時の話にもなります。

――現在の健康状態はいかがですか。

 まんがエッセイを仕上げている時は、一時悪化して抗がん剤の治療をしました。それが非常によく効き、今は落ち着いた状態です。

――近年ピンクリボン運動が盛んです。検診啓蒙グッズ作成にも協力されていますね。

 女性の18人に1人が罹患するという乳がん。家族や知人なども含めれば、更に多くの人が乳がんの関係者となります。「私は無関係」と誰にも言えない時代です。早期発見・早期治療がいまのところ一番の対抗策ですので、更に啓蒙と認知に努めていってほしいと思っています。

――同じ病気と闘っている女性たちにメッセージをお願いします。

(本文より)
 「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至る」(ローマ11:36)。神に至る道中で私たちは乳がんという病を与えられました。神の摂理が何であるか、私には想像もつきませんが、全ての道において私たちには神様の助けと力が与えられています。決して一人ではない。そしてこの道は神に至ることを信じて、一緒に歩いて行きましょう。
クリバリ・ユミコ Profile
イラストレーター。1967年仙台市生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業。1999年32歳の時に乳がんが見つかり翌年3月に手術、同年5月再手術。07年、骨などに転移が見つかる。現在、イラストレーターをしながら治療を続けている。中学2年生と小学5年生の娘と東京郊外に暮らす。好きな聖書の一節は「生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」