誌上ミニ講座「地域の高齢者と共に生きる」 第7回 時空を共に、時空を超えて
井上貴詞
東京基督教大学助教
「地域の高齢者と共に生きる」
高齢者と共に生きるということは、何かができる、できないという以前に、「今、ここで」の出会いに感謝し、時間と空間を共有するところから始まります。
今、共に生きているからこそ感じることのできる日ざしのぬくもりや寒暖の厳しさ、人生のさまざまな出来事からくる心の奥深くの喪失感などは、共に過ごす時空の中で初めて共有できるものなのです。
時間と空間を共にする
心臓病で倒れて入院した一人暮らしのYさん(七十六歳、女性)。退院時に病院からの紹介があり、退院直後に訪問しました。主治医の指示で療養の安定のために訪問看護サービスを導入した介護計画を作成し、Yさんもそれを承諾されました。ところが、いざ看護師が自宅を訪問するとYさんは拒否。高血圧であるのに塩分の多い食生活、薬の服薬も忘れてしまうYさん。そのままでは十中八九、再び倒れる危険がありました。しかし、何回試しても結果は同じ。軽度の認知症もあったYさんの寡黙な表情は、「あんたは私に何のかかわりがあるの……」と私に物語っていました。
考えてみれば、病気で倒れるまで自らの暮らしの主人公として自由に生きてきたYさんにとって、他人が心配してあれこれと提案するのは、土足で心に踏み込まれるようなものであったのです。私は「何かをYさんにする(doing)のでなく、共に在る(being)ようにしよう」とかかわり方の出直しを決意しました。
再出発の最初の取り組みは、唯一受け入れてくださった栄養バランスのよいお弁当を届けるサービスの配達を私が直接することでした。また、遠方の家族の都合がどうしてもつかないときに通院の付き添いもしました(一見、これは「する」に見えますが、調整・相談を主とするケアマネジャーの仕事からすれば、「共に在る」なのです)。病院の待合室のベンチに共に座していたあるとき、Yさんは堰を切ったようにこれまでの長い人生でどんな苦労があったのかを話してくださいました。それは、Yさんが自分のことをかけがえのない存在として受けとめようとする「他人」の存在を認知した瞬間でした。その後は、私が直接サービスを提供しなくても、Yさんは介護サービスを利用して生活ができるようになりました。
この例は、ケアマネジャーの業務からは逸脱した支援であったかもしれません。しかし、このときのYさんにとってはこうした時空を共にするかかわりが必要であったのです。
時空を超える
介護職員として働いていたときのこと。身寄りのない天涯孤独な九十三歳のОさんという女性がホームに入居されました。Оさんは、ちょっと気にいらないことがあると不平不満を並べて介護職員に怒り出してしまう方であり、親切な言動も悪く受け取られ、私を含めて若い介護スタッフは対応に頭を悩ませていました。
しかし、ホームの中で流れていた讃美歌「いつくしみ深き」が難聴のОさんの耳に届いた時に、Оさんの心に静かな変化が起こったのです。それはОさんが八歳のときに通っていた日曜学校で覚えた讃美歌でした。その日曜学校とは、明治三十年代の宣教師の教会でした。
やがてОさんは、自らの意思でホームの毎朝の礼拝に出席するようになり、少女時代に聞いた讃美歌と共に、イエスさまが救い主であるという福音の知らせを鮮やかに思い起こしたのでした。そしてあるとき、自分が大事に隠し持っていた偶像(大黒天)を差し出して「これは私にはもういらない。処分してください」と言われて信仰を表明され、受洗したのです。Оさんはその後、明るく穏やかな人に変えられ、二年ほどで天国へと凱旋しました。何ということでしょうか。明治の時代の宣教のわざと、現代のキリスト教老人ホームでの働きは、八十五年という時間と空間を超えたところで神のご計画のわざとして実を結んだのです。地上において宣教師は、自分の働きの実を知ることはありませんでしたが、主はそれを無駄にされなかったのです。
上下関係的な支援や個別性を無視したマニュアル的なかかわりは、相手の心を閉ざします。時空を共有しようとすることは人と人とのかかわりの根本でしょう。同時に、自分の力に頼って結果を出そうとせずに、時空を超えて働く神様のみわざに期待してゆだねることも大切です。実際に、多くの時間や手間をかけても、どのような実を結ぶかは私たちにはわからないからです。
「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません」(マルコ4章26、27節)