踊りをもって御名を賛美せよ 最終回 悔い改めと和解
中野めいこ
1944年東京三鷹生まれ。東京聖書学院、CEF伝道学院にて学ぶ。1965年、中野雄一郎牧師と結婚。3女1男、孫7人。日本とハワイの教会で奉仕後、1996年夫と共に巡回伝道者として再出発。現在、賛美フラミニストリー代表として賛美の祝福を伝えるために尽力。
フラに流派はありませんが、それぞれの教室(ハラウ)はそれぞれ特徴を持っています。ステップの踏み方の違い、ステップの名称の違い、手の動かし方、振りの違い、そして、個性というものもあります。一般のハラウでは決して一緒に踊るようなことはしません。
しかし、「賛美フラ」は違います。ステップの方法やスタイルが違っても関係なく一緒に踊ることができます。賛美だからでしょうか。私たちは主にあって一つ、愛し合い、赦し合うときそれは可能になります。
ですから、心の中に憎しみや、怒り、赦せない心があったら、本当は「賛美フラ」は踊れないのです。
沖縄での大きな大会でステージ(BFPジャパン企画)を任されました。踊り手は七十五人、十八歳から九十歳まで、十数教会の合同でした。五か月に及ぶ特訓、声を枯らして説明し、注意し、指導してきました。
ところが、いつまでたってもちゃんと踊れないのです。それどころか、まっすぐに並ぶことさえもできないのです。「もうだめ、私にはできない」
絶望に近い心境でした。大会まであとわずかのところで、自分の無力さをいやというほど味わいました。そんな私を支えたのは、みことばでした。
「神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように」(エペソ1章19節)全能の力、すぐれた力、偉大な働きをなさる神様だけが頼りで、ほかには何もないのだということがはっきりわかりました。そして祈ることを示されました。
「賛美フラ」は、一致がなくては踊れないのです。文句を言ったり、批判したり、裁いたりしていては栄光が現されません。ですから、いつでも祈りが必要です。聖書を見ると、祈りには必ず赦しが伴います。(マルコ11章24、25節参照)
出演当日、この日になっても、踊れない、まっすぐ並べない人がいましたが、心は平安でした。
練習はやめにし、七十五人全員で祈?会を開きました。神様への賛美、感謝から祈りはじめ、悔い改め、とりなしと祈りが進みました。それぞれ自分の言葉で祈るように導きました。四十分にもわたって祈りました。悔い改めの祈りのときがいちばん長くかかりました。床に伏して、泣きながら七十五人が祈りました。
祈りが一つになっていくのを感じました。聖霊が働いてくださったのです。そこに、癒しと赦しと和解があったと思います。よくはわかりませんが、十いくつかの教会の間では、いろいろなことが起こっていたようでした。
その日のステージは、それは見事なものでした。美しく揃っていて、プロのようにさえ見えました。
「主の臨在を感じた」「賛美フラがただの踊りでないことがわかった」と、多くの牧師先生がおっしゃってくださいました。私も会場の一番後ろで見ながら、感動の涙が止まりませんでした。
賛美フラミニストリーをはじめたのは、六十歳のときでした。このすばらしい賛美の方法を日本の方に紹介したいと思っただけでしたが、どんどんと生徒さんが増え、あっという間に、各地にクラスができていきました。私の努力によるのではありません。私はフラに関して素人ですから、才能によるのでもありません。
ただ、神様が「賛美フラ」を喜んでおられ、こうして広がっていくのを願っておられるとしか考えられません。だからこそ、私には理解できない不思議(救いや、いやしのみわざ)が起こるのでしょう。
「賛美フラ」がこれからも主の栄光のためにのみ用いられることが、わたしの祈りです。
「ダビデは、主の前で、力の限り踊った」(サムエル記6章14節)