踊りをもって御名を賛美せよ 第2回 フラは教会ではタブーでした

中野めいこ
1944年東京三鷹生まれ。東京聖書学院、CEF伝道学院にて学ぶ。1965年、中野雄一郎牧師と結婚。3女1男、孫7人。日本とハワイの教会で奉仕後、1996年夫と共に巡回伝道者として再出発。現在、賛美フラミニストリー代表として賛美の祝福を伝えるために尽力。

 デビ・ルツコウスキーさんがゴスペルフラを創始したのは三十年ほど前のことですが、その頃は、教会でフラを踊ることは決してありませんでした。
一七世紀に宣教師がハワイにはじめて渡って来たとき、住民たちの裸の踊りを見て、セクシーでいやらしい異教の踊りであると、フラ禁止令が出ました。しばらくの間、フラの踊れない時代がハワイでもあったのです。一般では禁止令が解除になり、民族舞踊として復活しましたが、依然、教会の中では絶対に踊ってはならぬものでした。
それからのデビさんへの風当たりは大変なものでした。しかし、この素晴らしい踊りはどんどん広がって行きました。同じころユース・ウイズ・ア・ミッション(YWAM)という団体でも「すべてのよいものは神様が作られたもの、サタンの手からそれを取り戻そう」という信仰のもとに、フラを伝道の手段として使うようになりました。
現在では、ハワイの教会のほとんどに賛美のフラのチームがあるといっても過言ではありません。

賛美のフラは、確かに祈りと信仰からはじまっていると確信しています。その証拠に、賛美のフラを通して人々が救われ、解放され、癒され、信仰が成長しているのです。賛美のフラは、賛美であるのはもちろんですが、礼拝であり、祈りであり、証しであり、献身でもあるのです。もし、そうでなければ、ただの踊りで何の意味も持たないのです。
聖書の中で、踊りについてはあまり書かれていません。「ダビデは、主の前で、力の限り踊った」「私はその主の前で喜び踊るのだ」(IIサムエル6章14、21節)や、「女預言者ミリヤムはタンバリンを手に取り、女たちもみなタンバリンを持って、踊りながら彼女について出て来た」(出エジプト15章20節)などは有名ですが、ほかに踊りについては見当たりません。なぜでしょう。
それは、ユダヤ人はいつでも踊っていたからではないでしょうか。ユダヤ人は踊りが好きで、今でも、神への感謝、喜び、賛美を踊りをもって現しています。
詩篇には賛美の方法について、いろいろな楽器と共に踊りが書かれています(詩篇149篇3節、150篇3節~)。
神様は人間を踊るように造られたのだと思います。日本でも、「踊りだしたいくらいうれしい」という表現があります。人はうれしくなると、踊りたくなるのです。それは、世界共通です。
歌も楽器も、すべての芸術は神の栄光をほめたたえるためにあるのではないでしょうか。いつしか、サタンにその方法を取り上げられてしまって、教会の中ですっかり忘れられてしまっていたのだと考えるのは考えすぎでしょうか。ダビデが踊ったとき、妻ミカルがその姿をさげすみ笑ったように、軽々しいとか、下品だとか批判してしまうのではないでしょうか。ダビデはこう言っています。「……私を選んで主の民イスラエルの君主に任じられた主の前なのだ。私はその主の前で喜び踊るのだ」(IIサムエル6章21節)
そうです! 私たちは主の前で踊るのです。

「賛美フラ」を踊るようになって、本当の賛美の喜びを味わうことができるようになり、心からの礼拝をささげることができるようになりました。それは口では言い表すことのできないほどの素晴らしい経験です。牧師先生から「皆さんが変わりました。ありがとうございます」とよく言われます。私が何かをしているのではなく、「賛美フラ」がクリスチャンを成長させてくれるのです。