踊るクリスチャン 第5回 心に空いた穴
清水好子
単立・入間聖書バプテスト教会牧師夫人
おじいちゃんがまだ元気だった時から、おばあちゃんの痴呆は始まっていた。家族のみんながおばあちゃんのことを心配していたから、まさかおじいちゃんのほうが病気だったなんて、気がつかなかった。
おじいちゃんが天国へ召されて数か月後、「おじいちゃん、どうして先に逝っちゃったの? 早く私も連れていってよ。おじいちゃんがいないと寂しいよ。でも、元気にがんばるから安心してね」とおばあちゃんはノートに書いていた。でも大好きだったおじいちゃんが召されてから、心にポッカリ穴が空いて、痴呆は加速してしまった。
家族で台所のクロスを張り替えていると、「何をするつもり? バクチでもするの? そんな勝手なことはさせないから!」と本気で怒り出す。「宇宙人と思え」と言われてはいるけれど「何ばかなこと言ってるの?」「ばかはそっちでしょう!」「私はばかじゃありません!」とつい本気で応戦してしまう。「おかあさんも大人気ないなー」と息子。続いて「ときどき子どもみたいだよねー」と娘。生まれた時から一緒に住んでいるので、子どもたちもおばあちゃんのことを良く理解している。
痴呆老人は、どういう世界に住んでいるのかな、と私はときどき不思議に思う。介護している立場の自分の世界を正常と思うと、痴呆老人の世界は、異常でわけがわからない。でも、痴呆老人の世界から私たちの世界を見たら、どのように見えるのだろう。
おばあちゃんは、十年くらい前からほとんど休まず教会に来ていた。牧師である息子の語るメッセージを小学生の全文書き取りのように一生懸命書き取っていた。大きな声で賛美歌も歌った。クリスマスのキャロリングにも一緒に行った。
今、おばあちゃんは施設に入所している。施設に「入所した」ということは、本人の意志ではなく、家族が「入所させた」ということ。このことばの大きな違いに「入所させて」初めて気がついた。
とても疲れたし、これ以上は介護できなかった。けれども、もしも、本当におばあちゃんがいなくなってしまったら、私たち家族の心には、きっと、穴が空く。