迫られる危機対応―次の災害にどう備えるか ◆「困難の中にある人とともに歩む」

石川一由紀
DRCnet災害対応チャプレン委員会・救世軍災害対策室

『危機対応 最初の48時間』『震災ボランティアは何ができるのか』が同時期に出版された。大規模地震の発生が今後も予想されているこの日本で、キリスト者としてどのように備えるべきかを問う。

著者は、「本書が災害直後の危機や心的外傷、喪失の中にある人々に仕える人の助けとなり、実践的なガイドラインとなることを願っています。そして、信仰を持つクリスチャンが、傷ついた世界でより活動的な存在となりますように」と冒頭部分に記しています。東日本大震災から三年、阪神・淡路大震災から二十年、そのほか規模の大小にかかわらず、私たちの通常の対処能力を超える「危機」を数え上げるならば枚挙に暇がありません。

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私自身、世界的な救援活動のスタンダード、スフィア・プロジェクト(人道憲章と人道対応に関する最低基準)について、私の所属する救世軍の東アジア、南太平洋地域十一か国の方とともに学ぶ機会を得ました。五日間の宿泊研修で、仮想国で起きた自然災害と救援活動のモデルについて、一週間を一時間として六時間(六週間)を過ごす実習がありました。被災者、救援団体、政府関係者、ブラックマーケット、輸送業者など、三十名ほどの参加者が割り振られた役割を演じたのですが、伝染病の蔓延、思想主義者の蜂起、限られた輸送ルートの取り合い、情報の交錯、救援物資の高騰、約束の取れない救援資金、刻々と変わる現地のニーズ、他団体との摩擦など、大きなストレスにさらされました。実習でありながら、自分たちの能力をはるかに超える混乱の中、仮想の政府から発表される死亡者数の驚くべき増加に激しく心揺さぶられる経験でした。
このとき抱いた感覚は、それ以前に私が奉仕する中でも経験していたものでした。それは、病院のチャプレンとして、特にホスピス病棟から連絡があって、亡くなられた方の家族ケアのために部屋に入るときに感じたものです。災害と病室ではあまりにも状況が異なると思われるかもしれませんが、危機介入の必要な人の前に立つという点で、私は共通するものがあると感じました。先ほどの救援実習では、各団体が被災者の視点で協力し始めると、死亡者数の増加は抑えられ、事態は好転していきます。実習の最後に「これは実習です。死者はゼロでした!」と告げられたこと、六時間のストレスに対して、十分な精神的、霊的回復のためのプログラムが組まれていたことは、私にとって大きな助けになりました。
危機を感じると、自分を守るためのホルモンが分泌されること、脳機能も論理的思考より、感情をつかさどり、記憶する部分の働きが強まることなどが本書ではやさしく紹介されています。

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私は、東日本大震災発生後、緊急支援、復興支援に携わってきましたが、被災地に行くたびに自分自身や被災者に起こる心身の反応やスピリチュアルなニーズは、危機に直面した人間の正常な反応なのだと理解し、それを冷静に受け止めることができました。人々に食事や物資を提供するだけでなく、心やスピリチュアルな問題に触れることについては、「私は専門家ではない」「相手の状況を悪くしたら責任が持てない」「素人がやってはいけない」という声もあるでしょう。けれども、自分の限界や専門家に紹介しなければならない状況などを知っておくこと、また支援者の側に十分なセルフケアが必要であることなどを見落とさず、本書から知ることができれば、危機の中にある人の隣人となるための大きな助けとなるでしょう。
特に本書では、危機に直面してから四十八時間以内のケアが非常に重要であることが強調されています。章の最後には「最初の48時間で『存在』によって仕える」(四九頁)などのように、読者が課題を整理し考える項目も付されています。スフィア・プロジェクト実習の中でも、分かち合いの時間があり、すぐに回復プログラムが実施されたことは私にとって大きな助けでした。

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共著者の一人であるケビン・エラーズ氏は米国でさまざまな支援活動に携わっていますが、自らの交通事故、奉仕活動の中での燃え尽き(バーンアウト)の中から立ち上がった経験を持ち、深い信仰と専門的な学びの中からこの著書が生み出されています。ですから、本書のテーマである「善きサマリヤ人」として、私たちが危機の中にある人々に存在を通して仕えることを極めることは、救い主イエス・キリストの生涯そのものであり、学問や支援の実践に取ってつけたように聖句が添えられているようなものではありません。日本を訪れた著者夫妻は、東日本大震災の被災者や行政の担当者、さまざまな方々の示すストレス反応や感情を受け止め、学問や教義を語るのではなく、優しく温かい「存在として仕える」深い信仰者として、言葉や文化の壁を超えて自然体で接していました。

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私は最近、日本を六週間ほど離れて世界の各地で働く救世軍士官(教職者)とともに、ロンドンで研修の時を過ごしました。祈りと神との対話、キリストによる赦しと恵みの再確認の時であり、さまざまな文化や戦禍の中で傷ついた人々の中で奉仕する同労者と経験を分かち合う時でした。期間中、震災後から約三年経過する中で、自分自身の、神にかたどって創造された人間本来の姿を相手の中に見るという力が落ちていることに気づかされました。
本書の最後のほうに、「希望を伝える最も良い方法のひとつは、あなたが希望になることです。つまりあなた自身が、神は善であり、正しく、あわれみ深いと心の奥底から信じることです」(一八二、一八三頁)とあります。自分の眼鏡の曇りと傷を癒やしていただく経験でした。私は、クリスチャン自身が神に全くゆだね、その御力と恵みを受け取り、深く愛され、赦された存在として生きることが、今、そしてこれから、さまざまな危機に直面している人々の助けになると確信しています。
地域防災への参加、救援物資の備蓄や活動など、教会が果たすべき役割も東日本大震災後、再認識されていますが、最も大切なことは何でしょう。本書の結びの言葉をご紹介して、この稿の結びとしたいと思います。
「本書の著者として、我々は次のことを望んでいます。それは、イエスが教会に望んでいることでもあります。すなわち、私たちが生きたキリストのからだとなり、教会が愛と同情に溢れる援助者で満たされ、悲痛な悲しみの声に喜んで耳を傾け、そうして、永遠に誠実な神の存在を示すことです」(二一六頁)。ここに、最も基本的な部分での「次の災害に備える」核心部分があるのではないでしょうか。

『危機対応 最初の48時間』
ジェニファー・S・シズニー、
ケビン・L・エラーズ共著
四六判 1,600 円+税
いのちのことば社