駆出しおとんの「親父修行」 最終回 「私の一年は、『たった一年』じゃない」
大嶋重徳
KGK(キリスト者学生会)主事
「お父さん、私オーストラリア行きたくない」
娘の衝撃の告白に、ひっくり返りそうになった。
一年間、海外で神学について学ぶ機会が与えられそうだ、という話が浮上したとき、もちろん娘がノリ気ではなく、浮かない顔をしていたことは知っていた。だが、家族で安心して行ける国に行かないと、と思い、知り合いの宣教師がいるオーストラリア選んでいたのだ。
「絶対、いい経験になるから。たった一年だから」と励まし続けた半年間。
しかし、留学が近づいたある日、娘はまっすぐにこちらの顔を見てこう言った。「お父さん、私の一年間は『たった一年』じゃないんだよ」。
そして、涙を流しながら、「私には大切な友達がいて、大切な教会がある。もう引越しはしたくない。つらい思いはしたくないよ」。
今まで親の気持をだれよりも汲んでくれ、大きな反抗なんかしなかった娘が本気でボクの前に立っていた。
香澄が生まれたときに、娘の誕生を祝ってカードが届いた。その中に「神様からいのちを預かったんですね」という言葉があった。預かり物とは、やがてお返しする日がくるということ。お返しする日が来るということは、自分の思い通りに育ててはいけないということだ。神様の願っておられるように育てるということだ。
本気でぶつかってきた娘の思いを前にして、それでも無理やり連れていくならば、ボクら夫婦と娘との間で築きあげてきた大切な何かが、壊れることになるだろうと思った。「……これで留学は中止か」目の前が真っ暗になるボク。
すると妻がさらりと、「これで留学に行けなくなったら、あなたもあなたで歪むよね。私が日本に残るから、あなたは一人で学んできて」
まじか、行っていいの? なんてかっこいいボクの妻。
娘が大人になっていく。ついこの間まで女の子だと思っていた娘が、一人の大人の女性に変わってしまっていた。
「いつの間にか、親の後をついて回ってくれた女の子じゃなくなったんだね」
「あなたはきっと、そこにショックなのよ」
「うん、そうかも」
比較的、仲の良い父と娘のつもりでやってきた。
「誕生日プレゼント、何がほしい?」
「うん、ブーツかな」
「じゃあ、一緒に買い物に行こう!」
「うん、お父さん大好き!」
そんな日がこのまま続くはず。そんなことを思っているボクに、先輩親父たちは「絶対、お父さんのことを嫌いになる時が来るね」とニヤニヤしながら言ってくる。
「うーん、最低二年はずっと不機嫌だね」
「程度の差もあるけど、それもまた成長なんだよね」
「お父さんが『何だかイヤ』がないと、それはそれで先々良くないんだよ」
そして息子もまた大人になろうとしている。
「ボクさぁ、『大嶋先生の息子でしょ』って知らない人に言われるの、本当にイヤなんだよね。あと『小さな頃抱っこしたんだよね。覚えてる?』と聞かれるのもイヤ。こっちは『はあ……』って、苦笑いするしかないじゃん」
これからも息子は、〝牧師の息子〟と呼ばれることに辟易し、「オレはオレだ!」と叫ぶ日が来るだろう。
父親を越えていこうとする子どもたちを見ると、「そう簡単に越えさせないぞ」という思いがムクムク湧き起こる。でも、「うちは、お父さんが強いからなあ。もうちょっと息子に負けてあげたほうがいいよ」と妻。うーん、そうかなあ。でもまだもう少し、越えづらい父親でいたい気もする今日この頃。
*
この春、娘は家族旅行よりも教会のキャンプを優先した。
今彼女には、信仰の友達がいる。親よりも友達をとることの大切さ。
そして、キャンプから笑顔で帰ってきた娘がボクに言う。
「お父さん、洗礼を受けます」
ついにその日が来たか……。涙のイースター。
香澄、クリスチャンになっても、きっといろんなことで悩むだろうけど、イエス様と一緒に越えて行け。
そして、お母さんになって、おばあちゃんになって、その子ども、孫にまで、この信仰をつなげていくんだよ。