駆出しおとんの「親父修行」 第1回 おれ、親父になる

大嶋重徳
KGK(キリスト者学生会)主事

それは、二〇〇〇年十月十八日、サッカーのアジアカップ、日本対ウズベキスタン戦をテレビで見ていた真っ最中だった。試合終盤、北嶋が日本八点目をゴールしたすぐ後だっただろうか。隣の部屋から、「破水した……」という妻、裕香の声が聞こえた。何が起こったのかわからず、戸惑う。
「重ちゃん、落ち着いて」
隣の部屋では布団がびっしょりと濡れ、バケツをひっくり返したようだ。日本圧勝で、機嫌よく寝ようとしていた真夜中のわが家にとんでもないことが起こり始めた。

*   *   *

私たちの子どもは、妊娠中、一度も変わることなく逆子を貫き通し、しかも、へその緒が首に巻きついている少し危険な状態が続いていた。初産ということもあり、帝王切開で十月二十四日に出産を予定していたのだ。また、胎中で男女の性も隠し通したミステリアスな子どもだった。
深夜一時半、病院に電話をする。
「出産予定日はいつですか?」看護師の声が聞こえる。
「十一月二十四日です。……あっ違う。十月二十四日」
「次の診察日はいつですか?」
「あ、明日です!」(本当は次週の月曜日)
父親になる男の頭は完全にテンパッていた。慌てすぎて何もないリビングでスベって転ぶ。雨がしとしとと降る中、妻の裕香を車に乗せ、両手いっぱいの入院グッズをトランクに入れる。いつもなら五分で着く病院までの道のりが、やけに長く感じる。午前二時に病院に入る。
裕香はすぐに診察室に入る。当直で担当医がいてくれた。神の時を感じる。「様子を見ましょう。今日の昼に手術をする予定にします」
空いている部屋に移され、その部屋には胎児の心音と、裕香の陣痛を示すグラフの記される音だけが響く。
「大丈夫。ありがとう」
裕香の笑顔がこぼれた。緊急な状態にも関わらず、今からくる出産を楽しみにしているような余裕を感じる。
「ああ、これが陣痛かあ」
裕香は早くも「スーッ、ハーッ」と、呼吸で痛みを逃がしている。午前四時になっても陣痛は治まらず、診察すると子宮口が三センチに拡大していた。
「すぐに手術をしましょう」
担当医の判断は素早く、病院のスタッフに電話連絡。まだ夜が明けていない病院が慌しくなってきた。
午前五時半、手術室に裕香を送る。ドラマのワンシーンのようだ。手術室前の椅子でひたすら神に祈る。裕香が目の前から居なくなると、不思議に眠気が襲ってきた。
うとうとしていると、旧約聖書のアブラハムが夢に出てきた。全く意味が分からない。「アブラハム子」という名前を考えたが、馬鹿馬鹿しくて止めた。
六時十八分、中から「アー」という甲高い声が聞こえた。生まれたのか。じっとして居られず、手術室の扉の前をうろうろとする。数分後手術室のドアが開き、看護師さんとともに、元気に泣く赤ちゃんが出てきた。
「おめでとうございます。女の子ですよ」
足を天高く突き上げて泣いている。
「可愛いですねえ」早速、親馬鹿をスタート。可愛い顔をしている。体重は二千九百九十六グラム。十分に母の胎の中で育ち、出てきたのだ。
三十分後、妻が手術室から出てくる。ニコニコと笑っている。「重ちゃんに似てるでしょ」
そんなことはない。赤ちゃんは母親似のいい顔をしている。長い夜がこうして幕を閉じた。

*   *   *

ボクらの世代は、父親イメージが希薄な時代だ。仕事、仕事で父親が家に全くいなかったという友人は、「父親が遊んでくれた記憶がないんですよ。『遊んで』と言ってくる息子に戸惑うんですよね」と言い、父親を早くに天に送った友人は、「十歳の時に親父が死んで、十歳から先の父親って知らないんだよなー。思春期の息子にどうしたらいいんだろう」と悩む。突然、「父」となったボクも、戸惑いながら「親父修行」の旅に出ることとなった。
娘の名前は香澄。「私の祈りが、御前への香として」(詩篇141・2)「香の煙は、聖徒達の祈りとともに、神の御前に立ち上った」(黙示録8・4)から、澄み切ったキリストの香り、そして透明な祈りという意味を込めている。母親の「香」の一文字をもらって、神様に自分の思いを包み隠さずに、かざらない透明な祈りをしてほしい、そう願っている。
だがその後、友人が「重子」というガセ情報を流した。しかも、「なんか深い意味が込められているらしいで」と真剣な面持ちで話したため、心配と問い合わせのメールが何件かあったのである。