駆出しおとんの「親父修行」 第4回 「ここぞ!」という時
大嶋重徳
KGK(キリスト者学生会)主事
「お父さん、ボク、幼稚園行きたくないんだよ」
息子が涙ながらに訴える。仕事の転勤で北陸金沢から関東に引っ越すとき、幼稚園の前で、多くの友達や先生に「とっくーん! 元気でねー」と見送られ、北陸金沢の地に愛された息子。別れの日に、「お、と、お、さーん、埼玉はい、や、だー」と泣き続けた息子にとって、新しい幼稚園は苦しみ以外のなにものでもなかった。
四月、新しい幼稚園に途中入園したが、幼稚園バスが来ても息子は毎朝、泣きわめき、乗るのに抵抗する。
だが、娘も小学校一年生にデビューしたばかり、妻も引っ越しの片づけでヘトヘト、ボクも新しく始まった関東での仕事に追われる日々。
ある日、仕事で疲れきって帰ると、「ねえ、德とゆっくり話してあげて」とややキレ気味の妻に言われた。
「おお……。わかった」
そして息子に聞く。「德、幼稚園どう?」
「うん、いやだ」「どうして?」
「金沢が良かった……。ボクは金沢にいたかった」
「そっかぁ。でもお祈りしよっか。そうしたら、今の幼稚園に行きたくなるって」
「お父さんさぁ、ボクは何度もお祈りしたけど、でも行きたくない気持ちは変わらないんだよ」
「……。でも、行きたくないってのはもうお母さんには言わずに、お父さんに話してくれよな」
翌朝もきちんと泣きわめく息子を、ようやくバスに乗せる。「お父さんの仕事のせいで……」と恨めしそうに見つめる息子に心痛めながら、仕事へ向かう。
だが、「はぁ、どうしようか……」職場でもため息が止まらない。そんなボクを心配した上司がこう言ってくれた。
「明日、とっくんのために時間をつくってあげてよ。仕事はどうにかしてでも代われるけど、夫であること、父親であることは代われないから」
そして、翌日の仕事をキャンセルさせてもらい、帰宅後、息子とじっくり話した。
「德さぁ、明日は幼稚園のバスに泣かずに乗ってみようよ。そしたらさ、お父さんが十時に幼稚園に迎えに行ってあげる。明日、お仕事休んだからさぁ。一生懸命バスに乗ってみ。お父さんはすぐに地下鉄に乗って、幼稚園まですぐに迎えに行くから。十時まで幼稚園にいられたら、二人でガスト行ってお子様ランチ食べて、ガチャガチャやって、パフェも食べて、地下鉄乗って帰ってこようよ。どう?」
「ほんと? いいの?」「いいよ」「ガスト?」「うん」
「いいねー」「お姉ちゃんには内緒だぞ」
「わかった、男同士の秘密ね」
「そう。だから德、ちょっとがんばってみ」
翌朝、泣かないように歯を食いしばっている息子。
自分の力でバスのステップを登っていく。何度か振り返りながら、「泣いてないよ」とアピール。でも、目は涙でにじんでいる。「が、ん、ば、れ!」と無言で応援。
息子は「はやく、むかえにきてよ」と目で合図する。バスが出発するのを見届けると、そのまま走って駅に向かう。
汗だくになって幼稚園へ着くと、十時までまだ少し時間があった。幼稚園の門からじーっと中を見ていると、息子がこちらに気づいた。
急いでカバンを持って、先生の手を振りきって、園庭の真ん中を突っ切って、必死に駆け寄ってくる。
「お父さん、ボク泣かなかったよ!」
胸に飛び込んでくる息子を抱きしめながら、「よくがんばったなぁ。お父さん、感動したぞ」と涙が浮かぶ。すると息子は間髪入れずに、「早くガスト行こ!」と気持ちは早くもパフェ……。でも前を歩く息子の背中は、心なしか少し大きく見えた。
翌朝は、少しぐずっただけでバスに乗り込んでいく息子。事態は何も変わっていなかったとしても、一緒にいてあげるだけで、子どもが一つハードルを越えていく瞬間。そして、ゴールデンウイーク明けには、笑顔でバスに乗れるようになった。
そういえば、高校生の頃、学校内で喧嘩をして停学になった朝、停学勧告を一緒に受けた父親が午前中仕事を休んでくれて、何を言うわけでもなく、畑に出て行って、野菜をつくって、午後から仕事に戻っていったことがある。
きっと父親には「ここぞ!」という時があるのだと思う。いつもいつも家族と一緒にいられるわけではない日本の親父たち。でも「ここぞ!」の時にいないと、取り返すのに多くの犠牲を払わなければならないことがあるのだと思う。
父なる神は、いつだって「ここぞ!」の時にいてくれる。ボクらはその父なる神の懐に飛び込みながら、「ここぞ!」の時に、子どものそばにいる親父になっていく。