高校生のためのエッセイ
永遠志向 最終回 「永遠を見わける眼」
荒井恵理也
高校生聖書伝道協会(hi-b.a.)スタッフ
人は競うことが好き。競っているのを見るのも好き。でもどうしてだろう?負けるのは嫌いなくせに。
毎年、受験生たちと話をすると熱心さと努力の影で、競争意識、エリート志向、自尊心が見え隠れしています。そしてそれが、競争原理の苦しい受験への原動力になっているようです。でも競争で負ければひどく落ち込むし、競争に勝ったとしても、その満足感もすぐに消えてしまいます。ボクたちはどうしてそんな永遠でないものを追いかけたり、身に着けたりしてしまっているのでしょう。
本書は、これまで自覚していなかった永遠でないものに対する思いに光をあててくれます。
「親は自分の子どもが就職の時期になると、本音が浮き彫りになります。クリスチャンの親であっても、子どもに聖書の労働観を伝えるより、『大きな会社のほうが安定している』『公務員なら大丈夫』など、利己的、保守的になります。」(五頁より)
理想は聖書的であっても方法はこの世的という矛盾は、多くのクリスチャンの生活にゆがみをもたらしています。クリスチャンであっても、牧師のアドバイスよりも予備校の講師のアドバイスのほうが説得力があるように聞こえるようです。大人のクリスチャンがそのような矛盾の中に生きていれば、高校生はほとんど無批判にそれを受け入れます。
高校生の皆さん。もっともらしく聞こえるけど実は聖書的でないものや、合理的に思えるけど永遠ではないものは、ボクたちの周りにはたくさんあります。それを見わける眼を本書で養ってください。あなたの歩みは始まったばかりです。七十歳まで生きるとしたら、まだ五十年以上の信仰の歩みがあります。そしてその先には永遠があるのです。
「永遠」とは神様のご性質です。その永遠という視座に立つ時に見えてくるものは、自分の真実な姿であり、自分のあるべきあり方であり、いるべき居場所です。だからボクたちは、心を魅了するこの世のたくさんのものを脇において、永遠を追い求める永遠志向で生きるのです。