高校生のためのエッセイ
永遠志向 第3回 居場所

荒井恵理也
高校生聖書伝道協会(hi-b.a.)スタッフ

 まんが喫茶を宿泊場代わりにしている若者たちの記事を新聞で読みました。インターネットし放題、まんが読み放題、ドリンク飲み放題でシャワーつき、それでいてカプセルホテルよりもずっと割安なまんが喫茶には、空間が仕切られていなくても、ひとりになれる自分の居場所があるというのです。

 人にはそれぞれ落ち着く居場所があるようです。集会場の一番後ろの席や、人の輪の外側に座りたがる人がいますが、その人にとってはそこが安心する居場所なのでしょう。役職や何らかの責任も人によっては居場所になるし、奉仕や雑務に走り回ったり、ボランティア活動や学生の運動体に参加したりすることが居場所になっている人もいます。

 「教会には居場所がない」と高校生が話しているのを時々耳にします。大人でも、自分の居場所がないと簡単に教会を替えるのです。高校生ならなおさら、居場所のない教会には行かないでしょう。

 でも、責任を教会に押しつけているような気もします。自分で居場所を見つけようとしているのでしょうか。はたしてホントに安心できる場所があるのでしょうか。責任転嫁は自分の居場所を見失わせて、結局まんが喫茶のようなところに行き着いてしまうんじゃないでしょうか。

 居場所は自分で作れるって知っていますか? ソファーだろうが風呂場だろうがトイレだろうが、今まで当たり前に過ごしていた場所で遍在の神と向き合うと、そこが自分の居場所になるのです。この本、『主の前に静まる』はその手ほどきをしてくれます。

 そんなのめんどくさいとかつまらないと感じるのもまた高校生なんだろうけど、ぜひ高校生に読んでほしい本です。一回読んで終わるのではなく、人生の様々なステージで読み返してほしいのです。やがてたどり着くあなたの本来の(永遠の)居場所を期待して、今、置かれている場所で、その前味を味わう助けになったらいいなと思います。

 受験生たちが受験から解放されるこの三月、予備校の自習室を自分の居場所にしていた受験生たちは、次はどこに居場所を移していくのでしょうか?