21世紀の伝道を考える 11 日本のゴスペルのこれから?(1)
ラニー・ラッカー
ラッカー・ゴスペル・ミニストリー主宰
ゴスペル・ミュージックを通して福音を
これまで日本人は、アメリカに旅行した際に訪れる教会で知るのと同様に、ミュージシャンや映画を通してもゴスペル・ミュージックに触れてきました。
今や「ブーム」にまでなったゴスペルは、日本のクリスチャンのイメージを変えつつあるようです。もしかすると近い将来、日本でもブラック・ゴスペル(日本語歌詞のもの)は、教会の賛美スタイルの一つになるかもしれません。
私は、このゴスペルが福音宣教のために用いられ、それを通して、日本のクリスチャンの数が増えていくこと、何よりもそれを望んでいます。
今の日本で、ゴスペルの歌い手の数の構成比は、三角形にたとえることができるでしょう。上部は、ゴスペルを歌ったり、教えたりしているクリスチャン、底辺部はゴスペルを歌っているたくさんのノンクリスチャンを表します。ゴスペル・クワイアの大半は信仰者ではありません。彼らの中には、ゴスペルを習い事、娯楽、そしてストレス解消としているところもあります。ですからゴスペルを教えているクリスチャンは、巨大な氷山の一角にすぎないのです。
ビジョンと祈り
一九九六年にブラック・ゴスペルのミニストリーをスタートしたとき、私たちのワークショップに関心を寄せたクリスチャンは、二十―三十パーセント程度でした。しかし最近の三年間で、この数字は五十パーセント、いえそれ以上になりました。また最近では、教会に基盤を置いている日本人によるゴスペル・クワイアの多くが定期的に聖書の学びをしています。
私は将来、ゴスペル・ミュージックが用いられるための霊的なしっかりとした土台となるような場ができるようにと祈っています。そして単なる娯楽ではなく、神さまを賛美するためにますます用いられてほしいと思います。
ところでゴスペルの愛好者の大半は、二十代、三十代の若者たちです。彼らがゴスペルを練習しながら、楽しんでほしいと願っていますが、同時に次世代のために、この「聖なる音楽」の、クリスチャンとしての堅固な基礎をしっかりと築いていってほしいとも思っています。
ゴスペル・ブームの背景
日本には「何か真実なもの」を求める飢え渇きが、たしかにあります。若者はその渇きが、同じファッションや気まぐれな熱中などでは、決して満たされないことに気づいています。「楽しみ」を求め、それが終わっても、空虚感からは逃れることができずにいるのです。最新のテクノロジーや豊かな物質よりも、偉大な力の存在を知りたいと願っているのかもしれません。
ゴスペルの果たす役割
神さまは、日本にゴスペル・ミュージックを紹介するために世俗の集まりを用いられました。神さまは、ノンクリスチャンの人たちがキリスト教について考えるようになるために、日本にゴスペルをもたらされたのではないでしょうか。人々はゴスペルを通して、神とは、またイエスとはどのようなお方なのかを考えるようになるのです。
ゴスペルのこれから
将来、ますます多くの若者が、今のような単なる流行としてではなく、ゴスペルを通してイエスのことを知るようになるでしょう。彼らは、日本のこれからにあって、福音を伝える宣教師となるのです。これこそ私のビジョンであり、また願いでもあります。
マルコ十三章十節で、イエスは弟子たちに言われました。「こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。」神さまは、日本そして世界中にイエスにある希望を知らせるために、ブラック・ゴスペルを用いておられます。疲弊している者への希望、弱さへの力がそこにあるのです。
世界に目を転じるならば、おそらく二十年後くらいには、ゴスペルは、今よりもたくさんの国々に広がっていることでしょう。今はヨーロッパ以外の国々でとてもポピュラーですが、近い将来、韓国でも盛んになっているかもしれません。(つづく)