21世紀の伝道を考える 16 チャーチ&ホームスクーリング(2)

稲葉 寛夫
チア・にっぽん(チャーチ&ホームスクーリングを進める会)代表

 まず神の国とその義とを
 チャーチ&ホームスクーリングは素晴らしい、聖書の命令に沿っているし、我が家も踏み切るべき、との確信で、2人の子どもたち、真祈史(11)とエミリ(6)とのホームスクーリングに、3年前に踏み切る決心をしました。舞台はロサンゼルスです。聖書は教育を「学校任せ」ではないと親に命じ、主の召しに従っていれば、必要なものは神は備えてくれるとの聖書の言葉とその正しさを裏付ける、米国での実践データが次々と入ってきている時でした。
 アメリカの激しい戦い
 ホームスクーリングが拡がり始めた80年代初頭、それは社会的に認知されず、何人かのお母さんが義務教育違反の疑いで牢獄に入ったりしました。当時は、お母さんたちは、学校に連れて行くふりをして校門まで車で行き、そのままUターンして家に戻り、ガレージのシャッターや窓のカーテンを閉めて、他人に気づかれないようにして、ひそかに進められたといいます。今は「ホームスクーリングをしている」というと、「えらいねー、すごいねー」と尊敬のまなざしが返ってくる時代ですので、隔世の感があります。
 知恵─主を恐れること
 「アメリカはクリスチャンの国だから、楽でしょうけれど、日本は……」と言われたこともありましたが、現実はどこの国でも、聖書に敢然と立つ時には、戦いが待っています。40%あまりが新生したクリスチャンと言われる国ですが、言い換えるならば、残りの60%は、聖書に激しく反対しているか、無関心層です。ホームスクーリングムーブメントは、聖書が命じる「学校任せ」にしない、神と親が中心となる「教育」、家族のあり方を問い直し、神を恐れ、聖霊の力に頼り、神に従っていくムーブメントです。この世に流されず、聖書を基準に立っていくわけですから、当然、徹底的に敵対する抵抗勢力や激しい攻撃にさらされたわけです。しかし、主に召されたお父さん、お母さんは人の声や圧力を恐れませんでした。彼らは聖書の命ずるとおり、主を恐れたわけです。
 主にある圧倒的な勝利
 しかし、主の命令、そしてその召しに確信して立ち上がるとき、その先に待っているものは、主にある「圧倒的な勝利」(ローマ 8:37)です。当初は、教会ですら理解を示さなかったところが多かったのですが、次第に、光が当てられた聖書の教えが浸透しはじめ、その実が見え始めて、評価は急転します。例えば、我が家が集っていた教会の牧師は、当初、完全に否定的でした。しかし、今では心からの支援者となり、ホームスクーリング自体が教会成長の推進力として、かかせない存在になっています。具体的には、同教会のメンバーで就学年齢の子どもを抱える家庭の60%あまりがホームスクーラー、教会のリーダー、役員等の家庭は80%以上がホームスクーラー、教会も100人あまりから300人以上へと成長していました。家族ぐるみで、聖書に立ち返る流れが、教会全体を覚醒し、揺り動かしていったのです。社会的にも、米国50州全州で合法を勝ち取りました。基本的人権、教育、良心、信条の自由、親の権利といった人間の自然権、「自由と独立の尊厳」がアメリカ憲法のもとで、認められていったわけです。後述しますが、こうした憲法の条項は日本国憲法も同様であり、国際法の判例からみても、同様の結果が出てくることが自明です。2000年10月から、アメリカでは、「ホームスクーリング推進ウィーク」を制定することが、上院、下院で可決、学力、社会性、家族のきずな、ボランティア精神ほか、その結果が党派や信条を超えて、圧倒したこととなりました。

 学校とは、教育とは何か
 私は、このような背景を知り、また実際、宝石のような子どもたちにふれれば、ふれるほど、私自身、我が家の教育の手段として考えていくべきではと思うようになりました。いくつか、疑問がありましたが、20年のアメリカでの総攻撃に耐えて勝ち抜き、200万人を突破しているわけですから、聖書からも、教育学的にも、論理的で明確な解答があるのです。
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