21世紀の伝道を考える 5 教会を活きかえらせるセルグループ(1)
大橋 秀夫
武庫之荘福音自由教会 代表
一九九三年、日本教会成長研修所が、当時シンガポールのフェイス・バプテスト教会の牧会スタッフであったラルフ・ネイバー博士を迎えて、研修生とともにセルグループ教会の一般公開セミナーを開催した。これが日本におけるセルグループ元年と言ってよいだろう。そのおり、日本のセルグループ教会として筆者がケーススタディーをした。それ以来少々大げさに言えば、野火のような勢いでセルグループが広がっていった。
しかし、セルグループがどのようなものであるかという本質的な理解がなく、ことばと外面的な形態だけが先行している傾向も見られる。これでは、結局これまで日本で紹介されては消えていった様々な伝道方法と同じ道をたどるのではないかと危惧する。
セルグループ教会か、それともセルグループを持っている教会か
セルグループ教会とはセルグループからできあがっている教会のことである。教会の基本的なことがら、伝道・奉仕・訓練(教育)がセルグループ自身の中で行われ、増殖が図られる。ときにはその中でバプテスマ式や聖餐式も行われる。まさにセルグループはそれ自身が教会の働きをしているのである。
それに対して既存の教会(会衆)を小さくグループ分けするのは、本来セルグループではなく、スモールグループである。それゆえ、スモールグループはその活動のために決められたやり方があり、ほとんどの場合、そのマニュアルにしたがって進められる。そこでは権限の委譲がされていない。つまり従来と同じ、管理下におかれた教会活動のひとつなのである。セルグループはそのような教会を御霊とみことばの権限のもとで、伝道・奉仕・訓練を解放しようとするものである。
方策か、あり方か
セルグループを伝道の方策と考えている人は少なくないと思う。しかしネイバー博士によれば、方策ではなく、教会のあり方そのものである。それは使徒の時代の教会を現代によみがえらせる試みであると言えなくもない。宗教改革がなしえなかった内なる教会の再構築である。そうした意味では現代の教会改革と言えるかもしれない。
教会には長い間に築いてきた伝統や習慣がある。しかし私たちが常に最優先すべきことは、聖書自身の中からその模範を見出し、それを適用することである。
新約聖書を見るときに、教会がひとつの会衆からできていたとは考えられない。その構成員の中心は常に信徒たち自身であった。そして教会とは、組織やプログラムや建物ではなく、共同体であり、非日常ではなく、日常性の中にそのいのちを保っていた。「使徒の働き」の2章41―47節は、セルグループ教会のめざす模範である。
セルグループの潮流
先にラルフ・ネイバー博士のセルグループについて述べた。実はこうした考えは、氏がはじめて表したわけではない。すでにジョン・ウェスレーによって組会としてその基本的な思想は公にされていた。またブレザレン派やメノナイト派のなかにも脈々と流れている。
私が、このセルグループと最初に出会ったのは、三十年以上前、キリスト者学生会で主事として奉仕していたときである。そこで出版された『活動するグループ――「働く信仰」誌の編集者による信徒と教会のためのハンドブック』(1968年 みくに書店)である。この本は『Group That Work』の翻訳であるが、セルグループを理解していただくために訳者の山田隆氏の「あとがき」から、「働く信仰」誌の名誉編集長アービング・ハリス氏の言葉を引用しよう。
「〈働く信仰〉(セルグループとは、)……神ならびにわれわれお互いの間に真の触れ合いを経験している人々……二、三人が集まって、人種や信条の壁を越えて、キリストの愛をキリストが愛しておられるこの世界にもたらし、キリストの力がそこで力強く発揮されるように努めている人々のことを意味している。……〈働く信仰〉は、み霊が今日の教会に新しいいのちをもたらしつつある一つの器である。……これは信徒のチームであり、……また、こういった革新への努力を助け、ともに手を組んで働く……群れである。」
(つづく)