21世紀の教会のために 第3回 ケープタウン2010を通して考えたこと (1)
藤原淳賀
聖学院大学総合研究所教授 日本バプテスト連盟恵約宣教伝道所牧師
宣教は、教会の本来的な働きである。宣教をしない教会は力を失う。本来すべき業(わざ)をしていないからである。私たちは七年前に教会を開拓した時、「恵約宣教教会」と名付けた。神の「恵みの契約」を「宣教」する教会でありたいと考えたからである。教会は、時がよくても悪くても、つねに宣教をその中心に据えていなければならない。
二〇一〇年十月に「ケープタウン2010(第三回ローザンヌ世界宣教会議)」に参加した。ローザンヌ会議は、三十六年前(一九七四年)にスイス・ローザンヌでビリー・グラハムがジョン・ストットと共に始めた世界規模の福音的キリスト教の宣教会議である。第二回会議は二十一年前(一九八九年)にマニラで開かれており、今回は第三回目であった。いわば二十年に一度の世界規模の宣教会議である。約二百か国から約四千五百人の指導者が集まった。日本からは三十数名が参加した。八日間にわたるこの宣教会議を通して考えたことを記したい。
神のミッションという視座
私たちの教会は、小さな教会ではあるが、毎年何人かの信徒を海外の宣教地に短期で送るようにしてきていた。だが私自身は「世界宣教」に触れる機会はほとんどなかった。しかし、ケープタウン2010がその機会となった。毎日、世界規模での宣教報告が行われた。魂を揺さぶるような証しもあった。また、アフリカ、中東、旧ソ連、アジア諸国、南米からの参加者たちに会い、一緒に食事をしながら、宣教の様子を語らい、証しをし、聞くことができた。
「凄いことが起こっている」これが実感である。世界の宣教がどのような規模で進んでいるのかをおおよそ知ることができた。ちなみに中国からの参加予定者約二百名が当局に拘束され、参加できなかったが、これも宣教地の現実の一つである。イスラム諸国での伝道の報告もあった(撮影、録音は禁止された)。イスラム教圏の女性たちが黒いベールをかぶって、キリスト者として礼拝している姿を観た時には心が震えた。宣教師は伝道が禁じられていても、神の言葉を語り、神の民はあらゆるところで育ちつつあった。
第一線で伝道、牧会、教育を行っている彼らの内に、自分の内にあるものと同じものを感じた。この人たちが主にある兄弟姉妹であり、同じ主に召され、それぞれの地でその御業にかかわっていることを直観した。
人は神の視座からものを見ることはできない。しかし今回、神の視座に思いをはせて世界宣教を考え、そして自分のかかわっている日本での宣教を位置づけることができたのは大きな収穫であった。我々が日本で担っているのは、世界を、そして宇宙を贖(あがな)おうとされる神のミッションの中での日本宣教であることを覚えなければならない。その時に、婦人会の副会長が誰になるかとか、今週は牧師先生があいさつしてくれなかった、などということがいかに小さなことか見えてくる。
苦難
「苦難」は重要な神学的テーマである。特に第二次世界大戦以降、世界では大きく取り上げられてきた。しかし日本は、北森嘉蔵(か ぞう)の『神の痛みの神学』を生み出したにもかかわらず、苦難の議論は不十分である。
日本の教会は、(表立った戦争協力までは至らず、迫害を受けた教会もあるが)、明確な抵抗をすることができなかった。日本のキリスト教は、戦時も苦難を上手に避けてきたキリスト教である。日本の主流派のキリスト教は上層階級から入ったため、上品で文化的なものを好むエリート志向があることが指摘されてきている。教会規模が小さいために実現されてはいないが、日本の福音派も、街の中心に大きな会堂があって社会に一目置かれる「立派な」キリスト教に(無意識のうちに)心が向かっていると私は見ている。そういう人は、「医者や政治家、弁護士や、あんなに偉い人がクリスチャンになれば影響力が大きい」という発想になる。そういう人や教会はキリスト者として生きることの「苦難」を語らない。しかしながら「苦難」は試金石である。苦難を語らない者に本物の信仰はない。
今回、二か月前にアフガニスタンで夫が殉教した夫人の証しがあった。大量殺戮で家族と同労者を失ったアフリカの牧師も話された。苦難の証しは、宣教報告の当たり前な一部分であった。第三回ローザンヌ世界宣教会議は、苦難をその一部として認識していた。
西洋のキリスト教を表面的にアジア化、日本化しようとする表層的「文脈化」の試みを聞くことがあるが、矢内原(や ない はら)忠雄は、むしろ日本には「日本独自の苦難」があるはずだと語った。苦難についての神学的思索が日本ではもっと深められなければならないであろう。