21世紀の教会のために 第5回 300年先を考えた教会形成を

藤原淳賀
聖学院大学総合研究所教授 日本バプテスト連盟恵約宣教伝道所牧師

 残念なことだが、日本の家は長くもたない。せいぜい三十年程度しかもたないものが一般的である。新しいもの好きのアメリカでさえ、家は直して長く住む。建て替えまでの平均は五十五年である。英国ではさらに長く七十七年である。英国では古い家のほうが価値がある。
昨夏、オックスフォードに友人の家を訪ねた。教会の隣に建てられた古い良い家であった。彼は、一八〇五年の地図にはこの家が載っているので、おそらく二百五十年前くらいに建てられたと思う、と自慢そうに話してくれた。
日本は地震が多いから外国のようには建築物が長くもたないという人もいる。しかし、世界最古の木造建築物は、法隆寺(七世紀)である。法隆寺の修理に関わった宮大工の書いたものを読んだことがある。彼らは、何百年も前の〝宮大工の技術”に触れていた。昔の建築物は現在のように形の定まった角材を用いていない。天然のねじれた木を生かして絶妙の技術で組み合わせているという。
それは教育にも通じることであろう。ここが短い、あそこが長いと、削って規格に合わせるのではなく、豪傑を育てたいと思う。主のために。
イエスさまの弟子たちは、正規の教育は受けていなかったが、豪傑が多かった。空から火を下そうという者、水の上を歩かせろという者、主と一緒に死のうと言う者……。しかし彼らは例外なく砕かれた。そして福音を携えて神と教会に仕えた。

三百年先を考えた教会形成

「三百年先を考えた教会形成をやろう」。七年前に教会開拓をした時、二十代前半の若い信徒たちによく言ったことである。現実には来週の礼拝に何を説教するかで頭がいっぱいであり、教会の必要経費が払えるかどうかという中であったが、志を高く持ちたかった。目先の小賢しいことではなく、三百年先から考えて、今必要なことを準備することを心がけようとした。日本のプロテスタントの歴史の二倍の年月である。
三百年という数字にこだわりがあるわけではない。しかしキリシタンの研究にその源はある。キリシタンの研究をした際に、彼らの苦難の歴史を学んだ。実はキリシタンの九割は信仰を捨てている。しかし一割は迫害を甘んじて受けた。結局はそのくらいの割合になるのであろう。
また隠れキリシタンは禁教下、二百五十年間、七世代にわたり、信仰を継承した。そして江戸時代の終わりに宣教師が再び日本に帰って来た時に、信仰を告白した。一八六五年三月十七日のことである。そして彼らは激しい迫害を受けていく。私はこの日の前後に、礼拝説教か聖書研究会かで、彼らの話をするようにして来た。そこから二百五十年を越えて三百年と言うようになった。
隠れキリシタンに対する批判はさまざまある。しかし少なくとも彼らは、七世代後の子孫が迫害を甘んじて受けるほどの可能性を秘めた形で信仰を継承してきた。自分だけではない。自分の子だけでもない。いや孫にも留まらず、七世代先の子孫が殉教を覚悟で信仰告白できるような形で信仰を継承したいと私は思った。そういう教会を形成したいと思った。この信仰継承。そして苦難の理解。これが特に日本のプロテスタント教会に欠けている点である。
キリシタンの研究は未だ十分ではない。カトリックではいくらかはあるが、プロテスタント教会からは、僅かな例外を除いてほとんど無視されている。しかし、彼らは主のために日本の地で血を流した信仰の勇者である。

未来の子どもたちへ継ぐもの

奇を衒ったものは長くは続かない。ぽっと出て来て、注目を集めて、消えてゆく。教会はよいものを見る目を、価値あるものを見る目を持たなければならない。
英国で、古い城を買った人の話を聞いた。彼は「こういったものを買う時、これは自分のものだとは思わない。自分の世代の責任を果たして、次の世代に渡していきたい」と語っていた。英国には歴史の感覚がある。
われわれは過去の信仰の勇者たちを聖書に、また教会史の中に見る。しかしわれわれは、次の世代の人たちのことに思いをはせる必要がある。われわれは、教会を建て上げそれを次の世代に継承していく。子や孫、曾孫の世代に恥ずかしくない決断をしたいと思う。
「おじいちゃんが、あのとき、大変な中であの決断をしてくれた」「おばあちゃんが、主のためにこのような生き方をしてくれた」。彼らが誇りに思えるような生き方をしていきたいと思う。
そして、われわれは二十一世紀の前半を走るのである。