21世紀ブックレットシリーズ50巻刊行
―キリスト教界と日本社会の歴史をたどる ◆キリスト者の社会的責任を心に刻む
山崎龍一
キリスト者学生会(KGK)総主事
五十冊に及ぶ「21世紀ブックレットシリーズ」を私なりの言葉で表現すると、「教会の『ことば』を携えて、キリスト者の共同体が責任をもって社会に生きることを歴史の中から掘り起こし、教会に内在する罪の性質及び教会に密かに持ち込まれる社会及びこの世性に対し、預言者的な役割を果たす試みを続け、日本宣教への灯をともしたブックレット」です。
一九七四年のローザンヌ会議以降、福音派諸教会は社会的責任に目覚めたと言われてきました。
それ以前にも、社会に対する視点の不十分だった福音派諸教会が社会について学ぼうとしたことはありますが、教会はその視点を定められず、「社会の視点で社会」を見ることをくり返してきたように思います。つまり以前は教会が社会の矛盾、貧困、人権、平和、政治などを学ぶ手段は、岩波ブックレットなどのわかりやすいものから本格的な書物まで様々ではありますが、キリスト教的な世界観・歴史観を視座にしたものではなかったのです。
ゆえにキリスト教的世界観および歴史観が深まることはなく、教会全体の歩みとはならず、社会的視点に賜物のある人の取り組みという、特別な出来事にしかなり得ませんでした。教会に政治や社会を持ち込むべきではないという教会内の抵抗は現在にも及びます。
しかし、「21世紀ブックレット」は、その福音派諸教会の限界点を、社会への視点に見出すのではなく、教会の中に密かに入り込む社会の問題として日本キリスト教史の真実に目を向け、思索を深めることによって越えようとする試みでした。教会の社会的責任とは、社会に存在しつつ、使命を果たすべき教会の責任を問うことであり、それは終末という神の意図を理解し深められるものであり、まさに私たちが『終末を生きる神の民』(#34)として生き抜くことであると学びました。
ブックレットを通し、教会が社会の中にあって真にキリストの教会であるようにと取り組みつづけている誠実な言葉に触れ、社会への教会的な視座を得ました。日本の教会史、特に一九三〇年代から、敗戦に至るまでの教会の犯した過ち、その時代の教会を深く見つめることが、実は社会での教会形成、さらには日本宣教へとつながることを示してくれるのがこの「21世紀ブックレット」でした。
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今後の期待としては、戦時中に信仰のゆえに投獄されたとされている牧師たちの実際の証言を検証することを通し、「批判」と「検証」を混同せずに冷静に見極めること、戦後自己検証できなかった教会の課題、さらに、戦後日本を訪れた大勢の米国からの宣教師の持っていた米国流国家主義の限界と、それを見破ることのできなかった日本の福音派諸教会の姿を描くことを期待しています。歴史をひもとき、福音の光を当てつつ、私たちが当事者意識をもってその負の歴史に寄り添い、先達の悲しみに寄り添いつつ、終末に生きるキリスト者の責任を心に刻むブックレットを今後も出版してもらいたいと思っています。