98%クリスチャンの国から1%クリスチャンの国に来て 第8回 良い羊飼いと雇い人
アマリア・ネクラエシュ
日本ルーテル教団新潟のぞみルーテル教会員
数週間前の礼拝の聖書朗読箇所は、ヨハネ10章「良い羊飼いのたとえ」でした。最初思いました。「あぁ、またあの話? みんな知っているでしょう?」あんまり何回も聞いたので、収穫がないと思いましたから。でも、違いました。これまでにもお話してきたように、日本に来て、神さまについて新しい見方を与えられました。日本が多神教の文化であったために、真の神さまについて考えさせられたのです。ヨーロッパなら、ひとりの神さまを信じるのが当たり前です。だから、″神さま”というと全能の神さまだと自動的に思います。日本に来てから、言葉に気をつけるようになりました。″神さま”ではなく、ちゃんと″イエスさま”という言葉を使わないと、相手がどんな神か、勘違いするからです。ヨハネ10章12節でイエスさまは、″雇い人”について教えています。「牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます」それを読んで、今回、初めてこの″雇い人”とは、″一般的な日本人が信じている神々のようなものではないかな”と感じました。理由は簡単です。まず、それらの″神々”は、世界を所有する創造主でなく、父でもありません。その神々が、人間に対して愛(アガペー)をもっているでしょうか。もちろん、もっていないでしょう。ただ、報酬をもらう″雇い人”に過ぎません。報酬とは、本物の神の力があると思い込ませ、信じて礼拝させることでしょう。そうすることによって、人々から本物の神のように思われています。でも、それは愛で結ばれた関係でしょうか。人間を純粋に愛することができるのは、だれでしょうか。ただ、天の父だけです。ただ、創造主だけです。次に、造られたものに対して、創造主以外に、救いの道を与えてくださる方がいるでしょうか。いないでしょう。天の父は私たちを造り、愛してくださっています。私たちが罪に堕ちて永遠のいのちをなくした姿を見て、心が張り裂けそうだったでしょう。どれほど、私たちが愛であふれた神の腕の中に戻ることを切望しているでしょうか。“雇い人”は、愛が空っぽ、エゴイスト、そして最終的に救う力がありません。だから、つらい時に逃げるのです。でも″良い羊飼い”には、愛があります。羊に救いの道を開くために犠牲になることを惜しまないほどの愛をもっているのです。