CD Review ◆ CD評 CD『聴く聖書-新約聖書-』
後平 一
保守バプテスト同盟 恵泉キリスト教会 関宿チャペル 牧師
天の御父の懐に抱かれて『聴く』
メッセージの準備に取りかかろうとして、ふと思い立って『聴く聖書─新約聖書─』で該当箇所を聴いてみた。目を閉じて耳を傾けると、幼いころ、父の懐に抱かれて物語を聴いたときの温かい感覚が蘇ってきた。天の御父の懐とオーバーラップさせながらしばし時を忘れた。ていねいな朗読で、BGMや効果音がない分、みことばそのものが心地よく響き、聖書記者の筆勢や息づかいまでが聞こえてくるようでイメージが広がる。聖書を「読む」のと「聴く」のとではこんなにも違うものかと新鮮な感動を覚えた。伝道牧会の中で、「神様の声って、どうやって聞くのですか?」といった質問を受けることがある。「聖書をとおして……」と説明しても、どうもいま一つだ。聖書を活字として「読む」ことに慣れてしまった現代の私たちは、「聴く」という感覚が薄れてはいない だろうか。
聖書は生ける神のことばであり、私たちにわかる言葉で記録された。それゆえ、ユダヤ人の会堂においても、初代教会においても、聖書の朗読が礼拝の中心であった。神が語られる方法は、聖書が朗読され、人々がそれを「聴く」というシンプルなものだ。聖書の朗読がどれほど大切なものかを再認識させられる。(余談だが、「黙読」という技術が一般的になったのはかなり後の時代のことだったらしい。だとすると、聖書はもともと、声に出して朗読され、人々が聴くためのものとして書かれたに違いない。)
『聴く聖書─新約聖書─』は、電車で、車で、ipodで、と忙しい現代人のためのメディアとして有効だろうが、それ以上に、生ける神のことばである聖書の朗読を「聴く」というもともとのシンプルな方法に立ち返るきっかけを与えてくれる。他の事をやめて、じっくりと耳を傾けてみよう。時には活字の聖書を離れて、聖書朗読を「聴く」ディボーションはどうだろうか。わが家では、まだ字を読めない息子と夜、布団の中で聴いている。やがて息子にも、天の御父の懐のぬくもりを感じながら御声を聴く日が来ることを祈りながら……。