DVD 試写室◆ DVD評 129 「フランシスコ・ザビエル」part2

DVD「フランシスコ・ザビエル」
大橋由享
友愛グループ イエス・キリスト ファミリー教会牧師

インド人にはインド人のように、日本人には日本人のように

 前号では、若き日のザビエルをご紹介した。今号はその続きである。

 宣教師の草分けパウロは、コリント書の中で、「私は、ユダヤ人にはユダヤ人のように、異邦人には異邦人のようになった」と述べている。その動機はただ一つ。何とかして、幾人かでも救うためだ(Ⅰコリント9章22節)。

 本作品を見ると、このパウロのスピリットが、ザビエルにも受け継がれていたことがよくわかる。

 イエズス会の宣教師となったザビエルは、インドのゴアに派遣される。彼は路傍に立つと、鈴を振り振り、インドの伝統的なメロディーに乗せ、現地語でキリスト教の教えを歌った。このような方法で伝道した宣教師は、これまでひとりもいなかった。

 歌好きのゴアの人たちは、いつしかこの歌を口ずさむようになった。そして、次々に回心したのである。ザビエルは、数万人に洗礼を施したと言われている。

 1549年、ザビエルは、念願の日本に上陸。しかし、伝道は困難を極めた。

 けれども、ザビエルは諦めない。彼は日本語で話し、日本人のように振舞い、日本人との対話を重んじた。仏典を研究し、日本人になじみのある仏教用語を用いて、聖書のことばを説明した。

 この努力が実り、人々は次第にザビエルに心を開くようになる。そして、大勢の日本人がクリスチャンになったのだ。

 研究者は、「ザビエルによる伝道方法のこの決定的な変化は、イエズス会にとっても、その後の宣教師にとっても、大きな変化でした」と評価する。なぜなら、当時の宣教師は、キリスト教徒になることは、西洋文化を受け入れることだと思っていたからだ。しかしザビエルは、日本の文化を保ちながら、キリスト教徒になれる道を示したのである。

 この後、ザビエルは中国伝道を目指すが、志半ばにして熱病に倒れ、1552年12月3日、天に召された。しかし、もし中国に入国していたとしたら、ザビエルは、やはり中国人のようになって福音を伝えていただろう。

 フランシスコ・ザビエル。熱い男である。本やDVDで、そのスピリットを感じてほしい。