NEWS VIEWS FACES ベー・チェチョル
全国コンサートツアー報告
礒川道夫
ライフ・ミュージック チーフプロデューサー
誰もが今起こっている病気や苦難が、将来、神の栄光を現わすと分かっていたら、どんなに楽であろうか。ベー・チェチョルさんの場合も同様であった。彼は4年前に甲状腺がんの手術で声を失った。その病気と苦闘している時に、2009年に日本で自伝『奇跡の歌』が発売され、そしてコンサートツアーをするなどとはよもや思わなかっただろう。
何しろ彼の本で「夫が階段を駆け上がるように成功していくのが怖かった」と妻のイ・ユンヒさんが告白していることからすると、ベーさんは野心家で、成功一筋だったに違いない。その彼に再び声が与えられ、今度は神のために歌いたいと願うように変えられたのだから、その証し、その声を聴いてみたいと誰もが思うのは当然だろう。
10月5日には、玉川聖学院の高等部、翌日は中等部で証しと賛美の時を持った。「どうして絶望しなかったのですか」といった質問も出て、彼の生き方は、ティーンエイジャーの心を十分捉えていた。放課後CDと本を販売し、サイン会をしたが、生徒の皆さんが結構購入して下さっていたこともその証拠だろう。
5日の夜は、保護者と一般の皆さんを対象にした「トーク&クラシックライブ」を行った。約800人の皆さんに、声を失って与えられたものを話し、数曲歌ってくれたのだが、終了後のサイン会が1時間以上かかったのにもかかわらず、皆さんが待っていてくれたことからも、いかに会衆の心をつかんだかご想像いただけるだろう。
10月10日、12日は、東京Hakujuホールでのリサイタルコンサート。12日には、満員になった会衆がオールスタンディングで、アンコール3曲に聴きほれていた。
15日には仙台でのコンサート。500人を超える聴衆。NHK仙台局がベーさんの仙台入りから取材していた。1曲目は「輝く日を仰ぐとき」。べー・チェチョルさんが、声帯の機能回復手術で有名な一色先生の手術中に、「声を出してみて下さい」という要求に、賛美した曲だ。その当時住んでいたドイツの韓国人教会で、途中で歌えなくなり、会衆が声を合わせて歌ってベーさんを励ました曲でもある。そして新しい声になって最初にレコーディングしたCDのタイトルにもなっている曲だ。
「天地造りし神が人をも造り変えて」と歌われるこの歌詞こそが、ベーさんの今の気持ちそのままであり、ホールにいる人々の心に共感を与えてくれるのだろう。
10月20日の西南学院大学公開講演会では、会場に入れない方々にやむを得ず帰っていただかなければならなかった。長蛇の列を待ってサインをいただいた一人の女性がお礼を言った。「今晩は、元気をいただきました」。
レーナ・マリアさんも自分の国、スウェーデンではそれほど有名ではなかったが、日本で多くの皆さんの励ましとなった。ベー・チェチョルさんも母国韓国ではまだ無名ではあるが、日本で用いられ始めている。