NEWS VIEWS FACES 5月公開!!「ナルニア国物語/第2章: カスピアン王子の角笛」
礒川道夫
ライフ・エンターテイメント チーフプロデューサー
なぜ この話が今の日本で公開されるのかの理由を考えてみた
昨年に公開された映画「マリア」は10万人ほどの方々が、教会の協力で観に行ってくださった。ミニシアター系の映画としては、健闘したほうだ。仙台、京都では、映画館の中で、クリスマス礼拝をして、「マリア」を上映するといった教会とのコラボレーションも生まれた。とにかく「救い主」がお生まれになったことを伝えることができたと思う。
さて2008年はあの「ナルニア国物語」の第2章が上映される。第1章の「ライオンと魔女」から3年。1,300年もの歳月がたったナルニア国。かつて全能なる王アスランに祝福され、生きとし生けるものすべてが幸福に包まれていた国は存在しない。侵略者であるテマール人に追われたナルニアの民は、深い森の奥で息を潜め、ただ滅亡を待つのみ。絶望の闇の中で、彼らはひたすら信じ続けた。この暗黒の闇に、再び光をもたらす者の存在を……。そしてそこに、カスピアン王子が登場。ピーターたちペベンシー家の4兄妹が再び帰ってくる。もちろんアスランもだ。
正直言って「ライオンと魔女」のように単純に「アスランの死はイエス・キリストのことだよ」と聖書の意味を伝えるのは難しいと思っていた。
実はそのことを、映画を配給するウォルトディズニースタジオの担当の方にお尋ねしたら、次のように彼は語った。「ナルニア国は、アスランの犠牲と復活によって回復したことを、忘れてしまった。その結果そこには、暗黒の世界が支配してしまう。それは神の恵みを忘れてしまった現代であり今の日本ではないでしょうか。今こそ“闇” VS“光”の対決が必要なのかもしれません」ただアーメンとうなずくだけだった。
アスランのことを忘れてしまった世界は、暗黒の時代だった。アスランのことは昔話であり、アスランのことを信じないナルニアの民たちが多くいた。しかし、アナグマのように信じるものもいた。この姿は現代の日本にも通じる。毎日、毎日、悲惨な事件が新聞をにぎわす。当然神がいるならなぜこんなことが起こるのだと思う人もいる。それでも神の救いを信じる少数のキリスト者が日本にはいる。また、ペベンシーの家の中でも、ルーシーだけが初めにアスランに気付くのだが、他のメンバーは信じることができず、間違った選択をしてしまう。彼らが信じないことをアスランに愚痴るが、あきらめないように励ます場面がある。私たちも、失望して信じることをやめたり、伝えることをやめてはいけない。
神の恵みを忘れてはいけない。このことを子供たちにも伝える絶好の機会である。
今キリスト教書店で、前売券をお申込みになると、素敵なプレゼントがもらえる。また全国の教会にポスター、チラシを送る予定だ。ぜひ教会単位、教会学校単位で申し込んでほしい。