NEWS VIEWS FACES E・ゴードン『クワイ河収容所の奇蹟』に思う
鴻海 誠
フォレストブックス編集長
もう16年も前のことである。当時、私は月刊誌の編集をしていた。あるスタッフが感動的な本があると推奨したのを発端に、この本を紹介する特集を組もうということになった。こうして、1988年2月号「百万人の福音」誌上に、「クワイ河収容所の奇跡─E・ゴードン『死の谷をすぎて』を読んで」と題する特集が掲載され、大きな反響を呼んだ。
太平洋戦争下のインドシナ半島で、インド侵入のためビルマへの陸上補給路を必要とした日本軍は、大量の連合軍捕虜と現地人労務者を使って、死の鉄道といわれた泰緬鉄道を建設した。18ヵ月の突貫工事で400キロの鉄道が敷設されるまでに、1万6千人の捕虜と6万人の労務者の生命が犠牲となった。ドイツとイタリアの収容所における連合軍捕虜の犠牲者が4%だったのに対し、クワイ河流域の連合軍捕虜から28%の犠牲者が出たことは、いかに彼らが苛酷な扱いを受けたかを物語る。
当時、20代のイギリス人青年、アーネスト・ゴードンも「死の家」に横たわり、それらの犠牲者の一人に加えられる運命にあった。しかし、キリスト者の友人たちの献身的な看護によって回復。その後、彼の周辺では信仰復興が巻き起こって、地獄にひとしい収容所が生を取りもどしていく。その状況は本を読むか、ビデオ作品を観ていただくしかない。
原書のタイトル「Through the Valley of the Kwai」から、著者は詩篇23篇を意識している。新地書房から出版された最初の日本語版タイトルも『死の谷をすぎて』であった。「たとい、死の谷の陰を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから」。限界状況の中で、主イエスが友となってくださった。人生という戦いの場においても、この方こそが私たちの真の友であり、杖となり、慰めとなってくださるのだと。もう一つ大切なこと。この悲惨な歴史的事件において、日本人はまぎれもなき加害者であったことを、私たちは知らなければならない。その罪の「清算」は未だにされていないと、世界の多くの人が思っていることも。
ゴードンはイギリスに帰還後、日本に行って教育か社会福祉に奉仕したいと思った時期もあったようだが、アメリカの神学校に学び、1955年から81年までプリンストン大学の大学教会の牧師を務め、数年前に亡くなったという。一度お会いして、私たち日本人に向けた彼の言葉を、「日本人」として聞きたかった。