Opus Dei オペラな日々 第10回 時空を翔る音楽
稲垣俊也
オペラ歌手(二期会会員)、バプテスト連盟音楽伝道者
自分をまとめあげる
人はたとえ意識していなくても、自分の生活のなかにまとまりを探しています。心に一貫したものがなければ、精神が分裂状態におちいってしまいます。毎日さまざまなことが起こり、あれもしなければ、あれはどうすればよかっただろう……このような気持ちに追い立てられていると、それに振り回されて生活がバラバラに分散してしまいます。そんな私たちに対して信仰は、過去、現在、未来の中で起こるさまざまな出来事や心模様(疑念や不安、不満、罪の意識など)に光をあて、それらをひとつにまとめ上げてくれます。
だからといって、信仰はことがらを統一するための“ものの見方”とか“考え方”ということではなく、神様がご自身(イエス・キリスト)を与え、私たちのうちにまとまりを創ってくださるという“現実”なのです。
賛美音楽も、このまとまりのある調和に満ちた現実を築き上げることに、大いに貢献してくれます。
“過去”を“今”に特にご年配のかたは、思い出深い曲を聴いたり歌ったりすると、曲と一緒にその当時の出来事が彷彿としてよみがってくるのではないでしょうか。たとえば「学生時代」を聴き歌うと、あたかもご自分がかの時代に舞い戻ったような思いにいたります。“舞い戻った”と感じるのは、実はかの時代の出来事を“今”に引き寄せ、“今”このところで感じ味わっているからなのです。
このように音楽は、過去の出来事を“今”の出来事にしてしまう「現在的な働き」があります。
そして自分とかかわりのある過去だけでなく、自分が生を受ける以前の過去に対しても「現在的な働き」を及ぼします。
イエス・キリストの十字架は、二千年前にパレスチナで起こった一事件ですが、賛美歌というフィルターを通せば、今日の出来事として自分の心に新しく働きかけてきます。
内的な働き
「内的な働き」とは、他人の出来事や他人のことばを、自分の心のなかで起こった出来事や自分のことばに変えてしまうことです。“襟裳岬”“長崎の鐘”など、自分の生活している土地とは関係のないことや、赤の他人が歌っている歌詞を聴くときも、まるで自分が直接に体験し、自分自身の思いを歌っているかのような気持ちにさせられることがあります。
たとえば「アメイジング・グレイス」……いかなる恵みぞかかる身をも、たえなる救いに入れたもうとは。救いにあずかり日々保たれ、かくあることさえ奇しきかな……を歌うごとに、作詞者ジョン・ニュートンのことばや体験が、私自身のことばや体験となっていきます。そして彼のことばが、私の実体験に深い意味と意義を与え、それらが私の人生にしっかりと位置付けられるように思います。
聖書のみことばも、以前は神が語られたことばとして自分の「外」から聞いていましたが、みことばを詠うことで、今度は自分の「中で」みことばが働く様を味わうことができるのです。主のみことばが自分のことばとなる、と言えましょう。
自分の人生で体験できることには限りがありますが、時間と空間を翔び越える音楽に心と体を寄せるならば、自分の生活の何百倍をも豊かに生きることができます。つまり、すべての時代の人々と、すべてを創造なさった主において深く結び合わされ、かかわることができるのです。
永遠の今
これまでの私の歩みのなかで、神様は実に多くのめぐみを施してくださいましたが、それよりも“今”ここで、ご自身を顕し続けてくださっています。神様には過去もなく、未来もなく“今”しかありません。私たちが存在するのは一瞬一瞬ですが、神様は存在そのもの(ご自身を“在って在るもの”といわれた)なので、一瞬の中でご自分の永遠で無限な存在を顕してくださいます。賛美を歌うときに私たちがかかわる一音一音の一瞬一瞬は、神様の「永遠の今」なのです。賛美歌を歌うということは「永遠の今」を詠うことにほかなりません。
未来に思いをはせることや、過去をかえりみることよりも、“今”を神様とともに生き、“今”生かされている私が一番好きといえるようになりたいものですね。