しあわせな看取り 果樹園の丘の訪問看護ステーションから 第13回 もう十分生きました

岸本みくに

「天の家に帰るとき」というタイトルの絵を持っています。雲の中である人がイエス様に抱きしめられています。イエス様は「よく帰ってきたね!」と言わんばかりの表情でその人を抱きしめています。バックの大空には広げられた大きな手が見えます。父なる神様が彼を歓迎しているかのようです。さらに頭上には翼を広げた真っ白い鳩と虹が描かれています。聖霊なる神様の歓迎です。この絵をカリフォルニアのキリスト教書店で見つけたときは、目がくぎづけになりしばらくその前から動けませんでした。

悪性リンパ腫で末期状態のすみ子さん(仮名)の、天国への旅支度のためにこの絵をお見せしました。彼女は無言でこの絵を眺めながら「『よくやった!』って言っていただけるかしら?」とぽつりとおっしゃいました。「もちろん言っていただけますよ!すみ子さんは隣人のためによく働かれました。それはすべてイエス様のためにしたことです。」
すみ子さんの人生は、家族のためだけでなく、彼女を頼ってくる多くの人のために仕える人生でした。心臓の大手術をした友人の、術後の療養を自宅でお世話されたこと。身寄りのないご婦人が訪ねて来る度に食事を差し上げたこと。人生の先輩として多くの若い婦人たちの相談に乗ってきたこと。心病む青年たちに寄り添い、励ましてきたことなど。すみ子さんのしてこられた愛の業は、周囲の人たちを通して耳に入ってきました。そしてすみ子さんが寝たきりになると、多くの友人たちが次々にやってきて、交代でお世話をされました。
私の同僚が「すみ子さんのような才女で働き者の女性のことが聖書の中に書かれていますよ」と箴言31章を読みました。「手ずから望みどおりのものに仕立て」「貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べ」「怠惰のパンを食べることはない」「力と気品をまとい、未来にほほえみかける」「有能な女は多いが、あなたはなお、そのすべてにまさる」「主を畏れる女こそ、たたえられる」(新共同訳)など、すみ子さんの生き様がぴったりでした。すみ子さんは照れくさそうに朗読を聞いておられたそうです。
すみ子さんは、夫を看取った後、一人で生活をしてこられました。神様に仕える息子さんが、思いきり神様のご用ができるようにと、できるだけ自分のことは自分でしたいと思われたのです。二度も骨折をされましたが、リハビリに励み、一人暮らしを続けました。
悪性リンパ腫の診断を告げられたときは、「治療は息子のいる余市で受けます」と答え、その時点で、自分はすでに末期状態であると覚悟し、家の整理をして引っ越してこられました。医師や私たち看護師には「もう十分生きたから、治療はしなくてもいいのです」とおっしゃいました。亡くなるまでわずか一か月半の生活でした。
あまり苦しい痛みや呼吸困難などはなかったのですが、全身倦怠感(だるさ)が彼女の苦痛となっていました。主治医は訪問診察の際、倦怠感を和らげるために副腎皮質ホルモン剤を処方することにしました。
先生が「すみ子さん、今日は元気が出るお薬を出しましたよ!」と言ったところ、すみ子さんは、がばっと起き上がり「何ですって?元気になる薬?私にはそんな薬はいりません!」とおっしゃったのです。主治医が困っているので、慌てて「すみ子さん、だるさを取るために出してくださるのですよ」と助け舟を出し、「それなら飲みます」とようやく納得していただいたことがありました。「もう十分生きた」が彼女の口癖でした。
衰弱が進むと、すみ子さんは信仰を持っておられても、長年仏教徒として生きてこられたことで、ご自分の人生がこれでよかったのか、という思いが起こってきました。けれども「神様を信頼して、委ねるだけでいいんだよ」という牧師である息子さんの言葉に大きく肯かれ、平安な表情となられました。
忘れられない思い出は、亡くなる数日前の入浴でした。衰弱が進み、意識は朦朧として、血圧も六十台に下がっていましたが、すみ子さんはお風呂が何より大好き。いくら寝たまま入れてもらえる入浴サービスとはいえ、通常ではこの状態では入浴はできません。でもすみ子さんは入りたいとおっしゃるのです。ご家族と相談して、危険は承知で入浴をお願いしましたところ、業者もその気持ちを受け止めてくださいました。こうやって実現したすみ子さんの最後の入浴はまるで赤ちゃんの産湯のようでした。愛する家族に囲まれ、すみ子さんはいとも満足そうな表情でお湯に浸かっておられました。すみ子さんは赤ん坊になってその数日後、天の家に帰っていかれました。「よくやった。忠実な僕よ!」とイエス様に迎えていただいたことでしょう。