豊かな信仰を目ざして 第一回 今「神さまイメージ理論」がおもしろい―福音への問いかけ
河村従彦
札幌で生まれ、東京で育つ。慶應義塾大学文学部卒業、フランス文学専攻。インマヌエル聖宣神学院卒業、牧師として配属される。アズベリー・セオロジカル・セミナリー修了、神学、宣教学専攻。牧会しながら、ルーテル学院大学大学院総合人間学研究科臨床心理学専攻修士課程修了。東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科人間科学専攻博士後期課程単位取得後退学。博士(人間科学)。現在はイムマヌエル聖宣神学院院長。牧師・臨床心理士。
私にとって神さまってどういう方なのだろう? このことをテーマにするのが「神さまイメージ理論」です。キリスト者が神さまをどのようなイメージで心の中に取り込んでいるか、これが「神さまイメージ」です。「神さまは一言で『神さま』ではないの?神さまのイメージなど考えたこともなかった」。そうかもしれません。しかし、本人は意識していなくても、実は何かをイメージしているかもしれないというのが「神さまイメージ理論」です。
*
わが国では、「神さまイメージ理論」の草分け的存在であるアナ=マリア・リズート(Ana-Maria Rizzuto)を紹介した研究者はいましたが、日本のキリスト教会がこのテーマを取り上げたことはおそらくありません。諸外国では四十年以上前に研究が始められました。聖書学の研究だけでなく、心理学や人間の発達の角度からの研究も盛んに行われました。今はある程度やり尽くした感があり、かつてほどではなくなっています。ところが、「福音を問い直す」ことに目が向けられているこの時代、改めてこのテーマに向き合ってみると、それはそれはかゆい所に手が届く。結構、無視できないのです。
*
福音には、「自らを問う」ことが含まれます。何かをきっかけに自分に向き合う必要があるという「気づき」が与えられると、自分の信仰ってどういうものなのだろう、自分の教会ってどういう体質の教会なのだろう、自分という人間はどういう組み立てになっているのだろう。このようなことが大切になります。そのとき「神さまイメージ理論」は非常にありがたいツールになります。なぜって? 神さまを「神さま」の一言で片づけず、自分にとって神さまってどういう方かを問い直すことになるからです。
宗教は人を自由にします。福音には、恵みによる楽観性があります。個々の尊厳が尊ばれ、人が人をコントロールすることもありません。ところが、イエスさまがパリサイ人を諭されたように、宗教が必ずしも人を自由にしないのはなぜか。実はその問題の背後に、わたしたちが心の中にどのような神さまイメージを取り込んでいるかという問題が横たわっているのです。「裁判官」の神さまであれば、基準に従って人を縛るかもしれません。新約の恵みの時代の、豊かに与え、守り、導く「父」であれば、人を育て、人が自立することを喜び、温かい目線で見守り続け、必要なときには手を差し伸ばすはずです。
*
たとえば、パウロのダマスコ途上の出来事以前の神さまイメージは、恐ろしい要求を突きつけてくる暴君です。ところが、ダマスコ後の神さまイメージは、不完全な子を無条件で受け入れ、成長を期待し、見守り続ける「父」だったのではないかと思います。
タラントのたとえを思い出してください。あのたとえは結局何を言いたいのか。五タラントの人のように、神の国では、与えられたものを忠実に活かすことが重要ではないか。それもアリです。しかし、もし与えられたものに見合うだけの「あがり」をゲットした人が神の国にふさわしいとなれば、忠実な人しか生き残れない、エリートイズムの世界ができあがります。懸命に奉仕に励み、恵みの手段を死守し、一歩でも人より前に出ることが重要になり、賜物の比較も始まります。弱い人は肩身の狭い思いを強いられ、場合によっては脱落、年齢を重ねたら用済みです。これは、イエスさまの描く神の国ではありません。
私がこのたとえ話で一番注目しているのは、一タラントの人です。それこそ人間の姿だということを教えているように読めます。この人は主人のことを、理不尽で横暴な人だと思い込んでいます(マタイ25・24)。しかし実際の主人は、豊かに与える方でした。これが神さまイメージの問題です。
このように、聖書を読むとき、神さまをどのようにイメージしているかはとても重要なのですが、ほとんどの場合それを意識していません。無意識のうちに神さまをネガティブなイメージで読み込めば、間違った神の国を描くことになります。
*
信仰のあり方を問い直してみる。イエスさまが描かれた神の国をイメージできるようなバランスのよい聖書解釈を心がける。行け行けどんどんの時代ではない、神さまが静かにみわざを進められるように感じられる今の時代、自分がどのような神さまイメージを描いているかを問い直してみることは、自らを問う責任ある信仰、そして恵みへの旅立ちの第一歩になるはずです。