特集 聖書を読むということ 呼吸法と黙想

エッセイスト・ラジオパーソナリティー 飯島寛子

朝は私にとって最も心静かにできる時間。マラソンの練習の前後に行うのが聖書を読むこと、そして聴くことです。教会では聖書通読とともに、【聖書通聴(造語)】が奨励されていて、五年前から行うようになりました。「信仰は聞くことから始まり……」(ローマ10・17)とありますが、耳からみことばを味わうということを実践しています。
けれども、読むにしろ聴くにしろ、自分の心が散漫で、脳が雑念でいっぱいではうまくいかない。いわゆる無の状態にならないとなかなか神さまからの声が聞こえてきません。特に心配ごとが渦巻くときなど、集中できないままで終わることがあります。そこで私が黙想のときに取り入れているのが呼吸法です。

マラソン・水泳・ヨガなどをしている方々は体得していることですが、運動の基本は呼吸法にあります。腹式呼吸による「息を吸い込むこと」と「息を吐くこと」です。できるだけ体をまっすぐにするような姿勢で、呼吸を意識しながら、ゆっくりと鼻から息をしながら、丹田(おへその下)に空気を貯める。そして口からゆっくりとお腹をへこましながら、息を吐き出す。マラソンのときにも息を吐くことに注意します。きちんと吐き出すことによって、新しい息を自然に取り入れることができるのです。
その呼吸法を通して、脳もクリアになり、心の雑念も消えていき、神さまのことばの恵みが染みわたることを味わっています。昔、夫・夏樹は毎朝早く起きて、そのような黙想の時間をとっていました。その時は分からなかった朝の恵みを、今私は実践しています。