連載 豊かな信仰を目ざして 最終回 教会学校・キャンプで何が ―子どもに伝えたい神さまイメージ
河村従彦
札幌で生まれ、東京で育つ。慶應義塾大学文学部卒業、フランス文学専攻。インマヌエル聖宣神学院卒業、牧師として配属される。アズベリー・セオロジカル・セミナリー修了、神学、宣教学専攻。牧会しながら、ルーテル学院大学大学院総合人間学研究科臨床心理学専攻修士課程修了。東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科人間科学専攻博士後期課程単位取得後退学。博士(人間科学)。現在はイムマヌエル聖宣神学院院長。牧師・臨床心理士。
日本人キリスト者がどのような神さまイメージを取り込んでいるかについてリサーチしたところ、厳しいイメージの「裁判官・王」、親しいイメージの「父・牧者」、赦しとかかわりがある「あがない主」、そして人間存在の根幹とかかわりがある「創造者」の四つのカテゴリーで取り込まれていることが分かりました。この中でも、キリスト者の中に広く取り込まれているのは「裁判官・王」です。
そしてもう一つ、キリスト者になる以前から感じている可能性が高いのが「創造者」です。他の宗教にかかわった後にキリスト者になった方にインタビューしたところ、その宗教で知った「神なるもの」と、キリスト者になって知った「神さま」は別物だったということでした。ところが、宗教とは別のところで自分を造った存在があるに違いないと感じていた「神なるもの」と、聖書を開いたときに知った「神さま」は同じ存在だったということでした。この結果は、神さまイメージは〇~一歳くらいから取り込まれるとしたリズート理論を支持しています。つまり、子どもであっても「創造者」のイメージを提示されれば、それが分かるということです。
*
ここで問題になるのは、それぞれの人格形成の段階で、どのような神さまイメージを取り込むのがよいかということです。もちろん私たちは、いつ、どのような神さまイメージを取り込むかを自分で選択できません。しかし、次の世代にバトンを渡すときには、そのあたりのことを意識する必要があります。
回心を大切にする宗派では、対象が子どもであっても、人間に罪があること、十字架がその解決であることを示し、決心を促すことがあります。これを「あがない主アプローチ」と呼ぶことにします。
ところが、神さまイメージ理論からすると、このアプローチには考えなければならない微妙な点が残ります。幼少期に「あがない主」を提示された場合、「あがない主」と「裁判官・王」がドッキングして、否定的なイメージとして取り込まれる可能性があるということです。さらに、これが深刻なのですが、幼少期に否定的な神さまイメージを取り込むと、心理的発達にとって重要な基本的信頼感が低下し、逆に劣等感は高くなる傾向があります。そうすると、アイデンティティーの確立のプロセスにギクシャクが生じます。本人は「幼いときに救われた」という意識を持ちつつ、追い立てる「裁判官」のイメージに苦しみ、信仰について語らせればそこそこのことは言えても、何となく独りよがりであったり、パーソナリティーに未熟さが残ったりします。
*
教会学校やキャンプで、どのような神さまが提示されているかは大切で、反省しました。子どもに罪人であることを教え、決心を促すような方法は、やりようによってはその子の発達に負の影響を与える可能性があることを心に留めておく必要がありそうです。
少し発想を変えて、「あがない主」より前に「父・牧者」のイメージを提示するほうがよいかもしれません。これを「父・牧者アプローチ」と呼ぶことにします。肯定的な神さまイメージは自己肯定感と基本的信頼感を高め、その後の心理的発達を促します。そして、人生のしかるべき時に、背伸びをしない、ありのままの状態で「あがない主」である神さまに出会うことができれば、人間形成という点でバランスがよいのではないかと思います。
*
幼稚園児を前に園長先生がこのようなお祈りをささげているのを見たことがあります。「優しい天の神さま」。何ともホッコリします。最初分からなかったのですが、今はとても意味深いお祈りだと思うようになりました。「あがない主アプローチ」を否定しているのではありません。しかし、幼い子どもたちには、まず、私たちを造り、温かく見守っていてくださる「創造者」である神さまを伝えたいと思います。私たちを愛し、養い育ててくださる「父・牧者」である神さまを伝えたいと思います。
牧師も、教師も、親も、教育の担い手がどのような神さまイメージを内在化させているかは重要です。担い手の神さまイメージは、奉仕の現場で言外に出てしまうからです。私にとっての神さまイメージはどうだろうか。そして、私はどのような神さまを次の時代に伝えようとしているのだろうか。一度考えてみる価値アリです。
*
六回にわたって、神さまイメージ理論について考えてきました。基になる論文は「東洋英和女学院大学学術リポジトリ」でご覧いただくことができます。