連載 自然エネルギーが地球を救う 第14回 人類の歴史と風の恵み

足利工業大学理事長 牛山 泉

風は世界中どこにでも吹いている。しかし、わが国ほど春夏秋冬、各地にそれぞれ独特な風が吹いているところは珍しい。これは日本がモンスーン気候帯に位置し、しかも国土の七割近くが山岳丘陵地という複雑な地形から成り立っているためで、これによる自然条件の特殊性が日本独自の繊細な文化を生み出したといえる。
俳句の季語や手紙の書き出しにも、風が多く使われ、古くは万葉集に読まれた大気現象も、風、雪、雲、雨の順に多い。古今集では「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」など風の歌が一番多く、続いて雪、梅雨、かすみ、の順になっている。
また、風をタイトルに入れた本や作品も数えきれないほどで、『風の又三郎』(宮沢賢治)、『風立ちぬ』(堀辰雄)、『帰りこぬ風』(三浦綾子)、『風の谷のナウシカ』(宮崎駿)などをはじめ、全世界も含めると数えきれないほどになろう。もちろん、歌謡曲やニューミュージックなど歌の世界でも風は数多く歌われている。
さらに、旧新約聖書に現れる風は、創世記から黙示録まで、およそ百八十か所あり、モーセに率いられたイスラエル民族の前で紅海を強い東風が吹いた話(出エジプト14・21)、イエス・キリストの弟子たちの上に激しい風のように聖霊が下ったペンテコステの記事(使徒2・2)など、よく知られた箇所が多く含まれている。

人類の歴史を辿ってみると、紀元前の昔から、人類はさまざまな形で風の力を利用してきた。もっとも古い利用法は帆を使った風の力による推進であり、帆に風を受けて進む船は、竿やオールで漕ぐいかだや丸木舟よりはるかに速く、大海原を遠くまで移動できたのである。紀元前から帆をつけた船が使われたことは、エジプトのピラミッドの中に絵が残されていることからもわかる。古代イスラエルのソロモン王の時代(紀元前九〇〇年頃)興味深い風の利用法として、谷間の風を天然の「ふいご」として使ったという記録があり、これにより木材を燃やす火力を強めて、銅の精錬を行ったのである。
牛や馬の畜力と、風車、水車が動力源として、十八世紀に至って蒸気機関が発明されるまで、極めて長い間使われてきた。今はグローバル化の時代と言われるが、歴史上のグローバル化は、人類が貿易風や偏西風を利用して帆船による大航海時代が始まったコロンブスやバスコ・ダ・ガマの十五世紀末に遡ることになる。ちなみに、コロンブスの船は「サンタ・マリア号」、インド航路を開いたガマの船は「サン・ガブリエル号」で、マリアに「受胎告知」をする大天使の名前をとっている。世界一周の途中、フィリピンで原住民に殺害されてしまったマゼランの船は「ビクトリア号」である。大自然に対して謙虚であったコロンブスとガマには神の加護があり、人間の勝利を意味するビクトリア号に乗ったマゼランは人間の力を過信していたためフィリピンで命を落とすことになった、と考えるのはうがち過ぎであろうか。

ここで風が人類の生命の基になっている恵みについて確認しておこう。私の文章が小学校六年の国語の教科書に載っていることから、学校で風や風力発電の話の出前授業をすることも多いが、このとき初めに「皆さんは、今朝はご飯でしたか、パンでしたか」と尋ねる。「ご飯の人も、パンの人も、風が吹かないと食べられなかったんですよ」と謎かけをしてから、日本やアジアの人々の主食である米、欧米人の主食である小麦、さらにはトウモロコシなど人類にとって重要な穀物を生み出すものは、風の力を使って受粉する風媒花であることを伝え、風は私たちにとって生命の基であり、帆船の動力源であり、風力発電などエネルギーの基にもなっていることを伝える。
また、植物の種子や果実に扁平な翼が発達し、ヘリコプターのように回転しながら落下するものがある。その代表がカエデやマツなどで、一枚のプロペラのような翼にすぎないが、落下するときにはくるくると回転する。この自動回転は落下速度を低下させ、もし途中で風が吹けば、それだけ遠くに飛ばされることになる。ツクバネのように羽の枚数の多いもの、あるいはトネリコのように一枚の狭い羽根で回転の速いものは落下する速度が小さく、風の力で種まきをしてもらっているのである。私はJICA国際協力機構のプロジェクトで十回近くケニアの大学に出かけたが、十月から十一月頃に美しい薄紫の花を咲かせるジャカランダの種は、小さな無尾翼飛行機のような形で、風に乗ると一キロメートル以上も飛んでゆく。