自然エネルギーが地球を救う 第17回 水の力|そもそも「水」という存在とは
足利工業大学理事長
牛山 泉
風と並んで古来から利用されてきた自然エネルギーが、水である。現代では、水は水素と酸素から成る化合物で、化学式ではH2Oで表されることは多くの人が知っているが、紀元前五世紀頃のギリシャでは、この世のすべての物質は、水・土・火・空気の四元素からできていると考えられていた。その後、この四元素に、天界を構成する元素と見なされた「エーテル」が加わり五元素になったものの、この考えは十八世紀の後半まで長い間続いていたのであり、水はいつも重要な元素として含まれていたのである。
聖書にも創世記1章2節の「神の霊が水のおもてをおおっていた」から始まって、「風」の百八十か所と並んで、「水」も数えきれないほど出てくる。風と水はキリスト教と親和性があるように思われる。新約聖書でも、イエス様の最初の奇蹟は、カナの婚礼で水をぶどう酒に変えたという祝福の記事である(ヨハネ2・1~11)。
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さて、二十世紀以前の最大の科学者であり古典力学を構築した英国のニュートンは十七世紀から十八世紀初頭に活躍したが、彼は神学や聖書年代学の研究者でもあった。十八世紀の終わり近くなると、一七八一年に英国のキャベンディッシュは金属と酸の反応で軽い気体が発生し、この気体と空気の混合気体に火をつけると爆発燃焼して水ができることを発見した。
その二年後には、フランスの化学者ラボアジェが、軽い気体(水素)と反応したのは酸素であり、水は元素ではなく、水素と酸素から成る化合物であることを確認している。さらに十九世紀初頭の一八〇五年には、フランスの化学者ゲイ・リュサックとドイツの博物学者フンボルトは、水素と酸素が体積比で2:1の割合で化合するとき水が生じることを共同実験で確かめている。
水の存在について土木関係の文献では、水は地球上に広く分布し、海・湖や沼・河川・氷や雪として地表面の約四分の三を覆い、太陽エネルギーと重力の作用を受けて気体(水蒸気)・液体・固体(氷)と状態を変えながら、気圏・水圏・岩石圏の三圏にわたって絶えず循環し、さまざまの現象を現し、地表の改変などを行う、などと記されている。
また、生物体の構成成分として普通は六〇~九〇%(人体では体重の六〇~七〇%)を占めることもよく知られている。特に赤ちゃんは水の構成割合が多く、高齢者は少なくなる。文字どおり「枯れてくる」わけである。水は体内にあって生命の維持に重要な役割を果たしている。
このように、私たちが生きてゆくうえで水はなくてはならないものであり、意識しなくても、呼吸をすれば大気中の水分が体内に取り込まれ、飲用水としても、溶解や洗浄、冷却、発電、さらにはキリスト教の洗礼など宗教上の儀礼にも、私たちの日常生活のあらゆる場面で使われている。
また、化学的には、常温では無色透明で無味無臭の液体で物をよく溶かす性質がある。融点は摂氏〇度、沸点は摂氏一〇〇度、その密度は摂氏四度で最大になる。 *
水が豊富にあり、家の蛇口をひねれば水道水が出てくる日本では、あまり水を意識することがないが、五年間続いたケニアの技術支援プロジェクトでカタール航空に乗ったとき、機内の新聞に載っていた王族が雨乞いの祈りをしている写真が印象的であった。日本は降水量の多いアジアモンスーン地帯の北限に位置しており、年間平均降水量が一八〇〇ミリメートル程度、屋久島に至っては四〇〇〇ミリメートルにも達するのに対し、地中海地域では五〇〇ミリメートル程度、これ以下になると雨水利用による農業は困難になる。中東の砂漠地帯は三〇〇ミリメートル程度かそれ以下であり、その雨がある時期に集中して降ってしまうので、地下水を汲み上げたり、海水を淡水化したりして人工的な灌漑をしない限り農業は不可能である。
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世界最古の文明発祥地の一つである、メソポタミア(二つの川、すなわちチグリス川とユーフラテス川の間の土地を意味するギリシャ語)に文明が栄えていたころにはレバノン杉の森林に覆われていたというが、文明の発展とともに人口が増大し、樹木は燃料や建築材料に使われて次第に砂漠化が進んだわけである。
今からおよそ四千年前の出エジプトの時代には、すでに砂漠化が進んでおり、出エジプト記15章にはイスラルの民がシュルの荒野を三日歩いたが飲み水を得なかった、マラの水は苦くて飲むことができなかった、とある。塩分が強かったのであろうか。さらに17章では、水に渇いたイスラエルの民が、石でモーセを打ち殺そうとする場面がある。モーセの祈りに応えて神がつえでホレブの岩を打つことを命じ、そこから水が出てくる、よく知られた箇所である。