特集 平和とつくるもの 「敵を愛する」という現実的選択
『憎しみを越えて
―宣教師ディシェイザー
平和の使者になった真珠湾報復の爆撃手』
ドナルド・M・ゴールドスタインキャロル・アイコ・ディシェイザー・ディクソン[共著]
四六判 288頁
定価1,800円+税
「平和をつくる者は幸いです」「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」。山上の説教で主イエスが言われたこれらのことばは、しばしば非現実的な理想、あるいは単なる目標のように扱われてきた。だが、戦時中に日本軍の捕虜となり、ひどい扱いを受けて憎んでいた〝敵国〟に、戦後、宣教師となり戻って来たこの元アメリカ兵の伝記を読むと、それが現実の生き方の選択であることを実感する。
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真珠湾攻撃の日、ジェイコブ・ディシェイザーは、他のアメリカ兵同様、卑劣な奇襲攻撃をした敵への憎しみに燃えた。そして、報復攻撃のために組織されたドーリットル空襲隊に志願する。与えられた任務は爆撃手だった。ジェイクが乗ったB25は名古屋を爆撃した後、自由中国(中国大陸の連合軍側支配地)を目指すが途中で墜落。日本の占領地にパラシュート降下し、日本軍の捕虜となる。捕虜収容所では過酷な扱いを受け、看守に反抗してはいざこざが起きた。
ところが、読むことを許された本の中に、一冊の聖書があった。敬虔なクリスチャン家庭で育ち教会の日曜学校に通っていたので、聖書にはなじみがある。心の渇きを癒やそうと、むさぼるように聖書を読んだ。天地創造の驚くべき記事、アブラハムやモーセ、預言者たちを通して働かれる神の姿から、聖書が「神のことば」であるという証言に心を捉えられる。その神のことばが、人間には救い主が必要であることを告げていた。そして新約聖書のイエス・キリストにその救い主を見る。
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独房の冷たい床の上で、ジェイクは祈った。自分が罪を犯してきたことを認め神に赦しを願うと、心は救われた喜びで満たされた。「回心した後、ジェイクは自分を拘束している者に対する憎しみを愛で置き換えなければならないと思った。自分の敵を愛するというイエスの例に従いたかった」。そして、それを実行に移した。いざこざを起こしていた看守に「オハヨウゴザイマス」と挨拶した。憎むことよりも愛することを選んだのだ。看守は当惑し、それから捕虜への扱いは和らいだ。
ジェイクは思った。「私のいのちに新しい力が宿った。私は自制心と意志の力が弱かった。しかし今は、自分の敵さえ愛することができる力を得た。世界はイエスを必要としている。イエス・キリスト抜きでは、憎しみや悲惨な戦争が起こる」。
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自分が爆弾を落とした国へ、この福音を伝えに戻らなければならない―宣教師になる召しを受けたのは、収容所の中だった。
ジェイクの体験談は、日本でも米国でも大きな反響を呼び、多くの人々がキリストを受け入れた。その中の一人に、かつて真珠湾攻撃の総隊長だった淵田美津雄がいた。ディシェイザー宣教師の体験談に衝撃を受けた淵田もまた、憎しみを越える道を求め、キリストを受け入れて伝道者となる。
「平和をつくるもの」は宿敵の心に働き、現実に「平和をつくる者」としたのである。(本誌編集部)