特集 平和とつくるもの 人間の思いを超えた「神の計画」

日本キリスト教団 下ノ橋教会 会員 山崎 真

一九九二年一月、当時流行になりつつあったクリスマスのさまざまな電飾がまだ片づけられないでいる米国はテネシー州ナッシュヴィルの郊外にある米国合同教会系ブルックミード教会で、私は、米国では大統領を撮る写真家として知られ、その教会の会員であるジョー・オダネル氏と出会い、彼が写した写真を見せられていた。
彼が一九四五年九月から米占領軍従軍カメラマンとして滞在した約七か月半の間に任務として命じられたのは、空襲で破壊された日本中の都市の撮影だったが、それとは別に、私用のカメラで撮られたのが、長崎、広島のすべてを一瞬にして消し去ったあのきのこ雲の下での人々、街々の写真の数々であった。その中には、後に日本中の人々の心をゆさぶることになる「焼き場に立つ少年」(写真右)の写真を含む、まだ日本のだれもが見ていない写真ばかりだった。
私は岩手県盛岡市にあるキリスト教センターの「米国の教会を訪ねるツアー」に参加した十一人とともに、訪問先の教会員のお宅に泊めていただきながらの旅の途中であった。
この旅を手引きしてくださったのは、一九四八年に日本の復興のために働くべく米国中から教会を通じて集められた青年たちで、任期の三年を終えた後も宣教師として日本で長年働かれたラーマズ宣教師夫妻であった。夫人のマルタ先生は最初の任地が広島女学院で、原爆の恐ろしさと、被爆者の苦しみを間近に見聞きした経験から、その後に赴任した北海道や盛岡のキリスト教センターの働きの中で、米国の教会に向けて、原爆症で亡くなった小学生佐々木禎子さんの物語の英文とともに折り鶴を送り続け核兵器のない平和を訴え続けた。一九九〇年、宣教師としての働きを終え、帰米後に住まれた施設がナッシュヴィルに近かったことから、写真家オダネル氏との出会いに結びつき、私たちにもオダネル氏の写真と出会う機会が与えられたのである。
オダネル氏と日本での写真展開催を約束した私は九二年の秋、日本で初めてのオダネル原爆写真展を盛岡のキリスト教センターで開催した。それを機に日本中から写真展開催の申し込みをいただくようになり、現在もなお続いている。
そのひとつ、福島県会津若松市の教会での写真展を支えた教会員の坂井貴美子さんは、米国の核兵器使用を間違いとし、真の平和を求めるオダネル氏の人柄に打たれ、後にオダネル氏の強い希望もあり米国で結婚。写真撮影の際に浴びた残留放射能被爆による体調不良に苦しむオダネル氏の生活のすべてを支えた。
オダネル氏は二〇〇七年八月九日、くしくも長崎被爆の日に召天、遺言により写真と米国での写真展は貴美子夫人に委ねられた。
このたびその貴美子さんが、夫の思い、行動、人となりなど、生活をともにした人にしか分からないオダネル氏のすべてを『神様のファインダー』として一書に著すことになったことは、実に意義深いというだけでなく、これまでオダネル氏をめぐって起こったことや、すべての出会いは私たち人間の思いを超えた「神の計画」であったと言う以外に言葉が見つからないのである。

 

神様のファインダー
─元米従軍カメラマンの遺産─
坂井貴美子 著 ジョー・オダネル 写真
A5判 192頁
定価1,500円+税
終戦直後の広島・長崎で戦争の惨禍を目の当たりにした元米従軍カメラマン、ジョー・オダネル。身も心も傷つき封印したはずの記憶を、40年たって世に訴えたのは、犠牲となった人々への後悔と共感、使命感からだった。