自然エネルギーが地球を救う 第19回 水の力|人類の歴史と水の恵み〈その2〉
足利工業大学理事長 牛山 泉
日本の地理的特徴は、アジアモンスーン気候帯に位置し、国土の七割が山岳丘陵地という、海に囲まれた島国であるということにある。それゆえ、水のエネルギーに恵まれているのが長所といえる。多雨と山岳地帯が多い環境は自然による大きな恵みであるが、この雨水のエネルギーを電力に変換するには、川の高低差(位置エネルギー)が大きく、水の量が多いほど効率がよい。
しかし、自然の河川は、上流部では高低差は大きいが流量が少なく、下流部では流量は多いが高低差が少なく、位置エネルギーが失われてしまっている。そこでダムの出番がある。山岳地帯にダムを設けると、大量の水がダムにより、水の位置エネルギーを保存したまま貯められることになるからである。つまり、高い山、大量の雨、そして川をせき止めるダム、この「三位一体」が成り立つと、雨水が石油に代わることになる。
日本と同じ温帯で水力発電が盛んな国としてはカナダがあり、ここにも山岳地帯で豊富な雨の降る地域がある。熱帯ではインドネシアも、山岳地が多く熱帯性の雨も多く降るので水力発電が有望であり、日本の国際協力機構などの支援で開発が進められている。
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意外なことであるが、日本が水力エネルギー資源大国であることに最初に気づいたのは、電話の発明で知られるアメリカのグラハム・ベルである。彼は一世紀以上も前の一八九八年に来日したが「日本は豊かなエネルギーを持っている」と言ったのだ。ベルは科学者であると同時に地質学者でもあり、来日したころにはアメリカ地質学会の会長を務めており、一流の科学雑誌である『ナショナル・ジオグラフィック』の編集責任者でもあった。当時、彼は地理学にも関して世界有数の権威であった。
一八七八年には英国のアームストロングが世界初の水力発電所を造っており、続いてアメリカでも一八八一年にナイアガラの滝の近くに最初の水力発電所が造られた。一八八二年にはエジソンも水力発電所を造っている。そして一八八九年には、アメリカ国内に二百か所もの水力発電所が運転されるようになっていた。
これらの状況を熟知していたベルは、日本にやってきて、地質学の知見に加え電気にも詳しいことから、山岳地系の国土と雨の多い気候であることを確認して「この雨が豊富なエネルギーをもたらす」と日本が水力発電の有望国になりうることを見抜いたのである。
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日本人は子どものころから川とはなじみがあり、私の育った長野県のように、海はなくても信濃川、天竜川、木曽川、あるいはロマンを感じさせる梓川や千曲川など多くの川が流れているところが多い。日本にはいくつの川が流れているのだろうか。大小合わせると三万五千から四万くらいの川が、小さな島国にひしめいているのである。したがって、ベルに言われるまでもなく、日本は水力資源に恵まれているのだ。
私の子どものころは、社会科の時間に、日本の電力は「水主火従」、つまり水力発電が主流で不足分を火力で補う、と習ったことを覚えている。長野県では遠足を兼ねて近くの水力発電所を見学に行ったものである。また、群馬県民ならだれでも知っている「上毛かるた」にも、「理想の電化に電源群馬」という札があり、絵札はダムの絵である。ちなみに、「へ」の札は、「平和の使徒(つかい)新島襄」、「こ」の札は「心の灯台内村鑑三」であり、この著名な二人のクリスチャンはいずれも群馬と関係が深い。この「かるた」は終戦直後の昭和二十二年にできたものであるから、当時は水力発電が日本の電力の中心で、次第に火力発電が主流になった。原子力発電が本格的に導入されたのは一九七四年の電源三法の成立以降である。
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二〇一一年三月十一日の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故以降、再生可能エネルギーに注目と期待が集まった。その中でも、太陽光や風力のような不安定なエネルギー源でなく、特に、水力や地熱のようなベースロード(基礎負荷)として利用できる要件を満たす安定したエネルギー源に期待がかかっている。
現在、日本には水力発電所が千二百三十九か所あり、その設備容量は四三八五万キロワットで、日本の電力の約一〇%を賄っている。これからは巨大なダムを必要とする大規模水力発電は無理でも、小規模水力発電は可能である。これについては元国土交通省河川局長の竹村公太郎氏が、既存の多目的ダムなどに少し手を加えるだけで、現在の水力発電の何倍もの潜在力を簡単に引き出せると述べているので、次回に紹介しよう。