書評Books すでに学んだ者にとっても新鮮で読み応えがある
日本基督教団 神戸栄光教会 牧師 野田和人
『聖餐とは何か』
R・C・スプロール 著
三ツ本武仁 訳
B6判 900円+税
いのちのことば社
“What Is the Lord’s Supper?”―『洗礼とは何か』に続いて、著者はいよいよ「聖餐」についての決定的な問いを投げかける。「主の晩餐(聖餐)とは何か」。
宗教改革五百年を見据えて、改革派牧師としての立場から、著者は私たちが二千年来あずかってきている「聖餐」について改めて平易で簡潔な解説を試みる。三ツ本武仁教師の分かりやすい日本語訳を通して、その試みは成功したといえるだろう。
主の晩餐を、旧約聖書の民の出エジプトを記念する「過越の祭り」から説き起こし、それが過去、現在、未来の三つの次元すべてにとって意義を持っていることを、著者は福音書のイエスの言葉や主の晩餐の制定の言葉に十分に注意を払いながら明らかにしていく。特に現在におけるその意義について、聖餐のパンとぶどう酒に焦点を当てた「第四章 本物の体と血か」から「第五章 キリストの本性」、「第六章 キリストの臨在」にわたる論考は、ローマ・カトリックに始まる幾つかの伝統的な考え方を改めて分かりやすく読み解いたことで、すでにその学びを経た者にとっても新鮮でたいへん読み応えのあるものとなっている。
筆者が改めて考えさせられたのは、「ふさわしくないままで」とはどういうことなのかについて、ここで示された著者の聖餐理解に基づいて最後の章で言及された「食卓の保護」、“the fencing of the table”の原則だ。最後の頁から引用しよう。「重要なのは主の晩餐の席から人々を排除することではありません。……私たちは自分自身としてはキリストにふさわしい者ではありませんが、それがどうしても必要であるがゆえに、キリストのもとに来て交わりにあずかるのです。ただし、高慢な心ではなく頼る心で、自分の罪を告白し、キリストだけが救ってくださると信頼しつつキリストのもとに来るべきです。こういった神聖な事柄をもし偽善的な仕方で扱うなら、神は私たちを潔白とはお思いにならないでしょう。このサクラメントの意義を探ることがなぜ必要なのか、その理由はここにあるのです。」 どなたにもぜひ一読をお勧めしたい。