自然エネルギーが地球を救う 第21回 水の利用|これからの可能性〈その2〉

足利工業大学理事長 牛山 泉

日本はこれから人口減の時代に入っていく。人口が減れば国力が落ちる。いずれも牧師の娘であるメルケル首相のドイツと、メイ首相の英国では取り組みが異なっているが、欧州諸国ではこれを移民によって補ってきた国も多い。日本は歴史的な観点からも移民は増加せず、人口漸減が続き二〇五〇年には一億人を切って九七〇〇万人ほどになると予想される。しかし、これから再生可能エネルギーが中心の時代になると、人口減はむしろ歓迎すべきなのかもしれない。
現在、日本のエネルギーは化石燃料を中心としているが、埋蔵量の枯渇が必然的に訪れる。原子力発電は安全性も放射性廃棄物も課題が山積である。一方、地球温暖化の国際会議を見ても、特に二〇一五年末の国連気候変動枠組条約21回締約国会議(COP21)で結ばれたパリ協定では、化石燃料から再生可能エネルギーへと転換する時代が到来したことを世界が実感した。世界は確実に再生可能エネルギーを中心とする方向にエネルギー政策を転換しつつある。

日本が、持続可能な未来社会を構築していくには、エネルギーの過半を占めている化石燃料を大幅に減らし、再生可能エネルギー中心に移行せざるをえない。しかし、人口減少により、一人当たりが使えるエネルギー量にはさほど影響しない。日本の再生可能エネルギーのポテンシャルは洋上を含めた風力が圧倒的に大きいが、現実的には既存のダムを有効利用する水力発電から始まるであろう。
前述のように、日本のダムの潜在的な発電能力を引き出せば、水力発電により電力の三〇%程度まで自給可能である。これには竹村公太郎氏(日本水フォーラム代表理事)の言うように三つの方策がある。第一に多目的ダムの運用方法を変更すること。これによりダムの空き容量を発電に利用できることになり、ほとんどコストはかからない。第二に、既存のダムを嵩上げすることで、これにより新規ダム建設の三分の一以下のコストで既存の発電ダムの能力を二倍近くに増大できる。このように既存のダムを利用して発電量を増やすことは、低コストで実現可能である。第三に、現在は発電に使われていないダムを発電に利用することである。これとて建設コストは過去に支払い済みなのであるから、ダム新設のコストと比較すればはるかに安くすむ。これらに加えて、さらに中小水力発電を考えるわけである。
エネルギー関連の文献には、水力発電は火力発電や原子力発電と比べて割高であると記されている。しかし、水力発電はダムの建設など初期投資がすべてで、年を経るごとに発電コストは安くなっていく。燃料費はまったくかからない。他方、火力発電や原子力は継続的に燃料費が必要であり、温室効果ガスを発生する。さらに放射性廃棄物の処理など未解決の課題を抱えたままだ。水力発電の初期コストはすでに支払い済みであり、寿命は百年にも達するのであるから、水力は最も安い電力なのだ。
各種の発電方法を設置した時に投入したエネルギーに対して、その設備の寿命までにどれだけの電気エネルギーが得られるかというEPR(エネルギー利益率)を調べてみると、原子力が一七・四でトップ、僅差の二番が水力発電で一五・五、三番が石油火力の七・九、太陽光は〇・九八と一を割っている。ちなみに、この日本経済新聞の調査は東日本大震災以前のものであるから、現在では原子力のトップを信じる人はどこにもいないであろう。

巨大なダムを必要とする大規模水力発電は無理でも、小規模水力発電は簡単にできそうであるが、なかなか開発が進まない。その最大の原因になっているのが、水源地域の住民との合意形成の難しさである。小水力発電を行おうとする事業者が、地元から理解を得ようとすると、かなりの時間がかかるのだ。その背景にあるのは、河川をめぐる地元の感情と法的権利のギャップである。法的には、川の水は国が管理することになっており、水だけでなく川岸の土地も、国や地方自治体の管理下にあり、公有地である。しかし、江戸時代までは川の権利をめぐって流血の争いまであったほどで、維新後に川の土地と水の管理は国が行うことを法律で決めたのだ。
「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。……何をしても栄える」(詩篇1・3)とあるように、昔から川を守り、川と共に生きてきたのは川に面して生活してきた人々である。したがって、これからの小水力発電は、水源地域を犠牲にするのではなく、逆に水源地域のために開発を行い、その利益は水源地域に帰属するという発想の切り替えをすることが必須である。デンマークの風力発電も同じように、風力発電所の近隣の住民に株の公開を義務づけるなどして住民にも事業の当事者となってもらっている。