あたたかい生命と温かいいのち 第十回 楽なほうでなく、しんどいほうに
福井 生
これまで物事を決めなければならないとき、自分が楽になることを優先し決定すれば、だいたいにおいて、いい結果を得られなかったように思います。止揚学園に新しく入園してきた大樹さんのことでもまた同じことをするところでした。
大樹さんとの生活が始まったその日から、止揚学園はいつもと違う雰囲気が漂いました。大樹さんが机をバンバンと叩く音、壁を蹴飛ばす音、そんないつもとは違う音が聞こえてくるようになったからです。止揚学園で暮らす私たちにとって、その音は心を悲しませる音でした。なぜなら知能に重い障がいをもつ仲間たちが日々の営みの中で、私たちに大切なことを教えてくれていたからです。
毎朝仲間たちは廊下の雑巾がけをしてくれます。そして、ピカピカに光る廊下に向かって、
「廊下がニコニコ笑っている」と教えてくれるのです。仲間たちにとって、すべてのものは生きているのです。
生命の鼓動という見方からすれば、人間も犬もカブトムシもそこに確かに生き、躍動しているものを感じます。しかし仲間たちは静かに立つ柱一本一本にまで、生命を見いだすのです。生きているということは、相手がそこに生命の存在を認めてくれて初めて、そう言えることではないでしょうか。だから、仲間たちが物言わない廊下に生命を認めているとするならば、止揚学園という小さなグループの中にあって、廊下もまた一緒に生きているのです。机も壁も同じです。しかし大樹さんが作り出す、落ち着かない状態は何日も続くのでした。
「こうなったら、大樹さんが叩いても壊れない頑丈な机に代えようか。壁を強く補強しようか」
こう提案をしたのは私でした。
「それが本当に正しいことなのでしょうか。私たちは今、自分たちが楽になるほうに目を向けているのではないでしょうか」
一人の職員が言ってくれた「正しいこと」という言葉が私の胸に深く刻まれたのです。もし頑丈な机や壁を備えたら、叩いても壊れないと安心してしまい、心が大樹さんから離れていきます。それではいけないのです。それは正しいことではないのです。なぜなら私たちはすべての物に生命があることと、そのことを大切に心を一つにし、今日まで歩み続けてきたグループだからです。いつかはこの心に大樹さんも繋がってくれることを諦めてはいけないのです。
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それからは今まで以上に大樹さんと過ごす時間を増やすことにしました。大樹さんが机を壊したら一緒に直しました。壁を蹴飛ばしてへこませれば一緒に張り替えました。
そのようなことをしたからといって、次の日から大樹さんが心を開いてくれたわけではありません。感動的なことはそんなに簡単には起こらないのです。イエス様が私たちを見守っていてくださることを信じ、この試みを一年、二年と続けていったのです。
ある日私のところに二人の職員がやってきました。そしてなんと結婚するというのです。二人はあふれる思いで胸をいっぱいにし、話してくれました。
「私たちは結婚します。仲間たちが私たちの心を繋ぎ合わせてくれたのです。ふつう結婚するということは別々だった心が一つになることといいますが、二つの心からたくさんの心が繋がっていくような結婚式にしたいのです。止揚学園のみんなに参加してほしいのです。だから結婚式を止揚学園の建物でしたいのです」
二人のその瞳は、仲間たちとの出会いを与えてくださった神様への感謝で輝いていました。この感動を詩にし、メロディーをつけ、門出の日に贈ってあげることにしました。
大樹さんがその瞳から涙を流していることに気づいたのは、この歌をみんなで練習しているときでした。大樹さんは言葉を話すことができません。だから歌を歌うことも難しいです。でもその心で歌ってくれていたのです。美しい涙が、そのことを物語っていました。
「これからも、みんなで一緒に歩んでいきましょう」
涙は私たちに優しく語りかけてくれているのです。
(今こそ聞こえない心の声を聴くときなのだ、集中しなければ)
でも、そんなことをしているのは私一人だけでした。その声は、すでにみんなの心の中に響いていたのです。
心と心がもう繋がっていたのです。
神様は、いつも楽なほうでなく、しんどいほうにいてくださいます。その場所で私たちとともにいてくださり、私たちの歩みを優しく見守っていてくださいます。そのことに気づかされ、感謝の熱い思いが私の胸にあふれたのです。