リレー連載 ことばのちから第4回 あんたの居場所くらい ここにはあるよ

佐藤英和

今日、「ことば」そのものがもつ意味が薄くなってきているのではないでしょうか。そんななか、「いのちのことば」という名を冠する雑誌としても、その「ちから」について改めてご一緒に考えていきたいと思います。第3回目に引き続き、株式会社こぐま社相談役の佐藤英和さんです。

「あんたの居場所くらい ここにはあるよ」
これはイギリスの詩人エリナー・ファージョンの詩に、私が愛してやまないエドワード・アーディゾーニがさし絵を描いた『マローンおばさん』(こぐま社刊)という物語に繰り返し出てくることばです。森のそばで、だれひとり様子をたずねる人もなく、一人貧しく暮らしていたマローンおばさん。そこへ弱った小鳥や動物たちが訪ねてきます。その一人ひとり(一羽? 一匹?)をマローンおばさんは次々と「あんたの居場所くらい ここにはあるよ」と迎え入れていきます。人々から相手にされず、孤独に生きていたマローンおばさんですが、動物たちは知っていたのです。マローンおばさんは自分(たち)を受け入れ、「居場所」を用意してくれる存在だと。

「居場所」を辞書で調べても、「いるところ。また、すわるところ。いどころ。」(広辞苑)としか書かれていません。私たちが日常的に使うことばとしては、確かにそうなのかもしれません。しかし、「あなたの」「居場所は」「ここにある」、というマローンおばさんのことばは、なんと愛に満ち、私たちの心に響くのでしょうか。
「あなた」は、マローンおばさんにとっての「あなた」であり、ほかの誰かではないのです。そして、マローンおばさんが与えてくれる「居場所」は、安心と安全を伴う居場所です。ですから、不安や恐れ、悲しみや絶望の中にある者にとって、あなたの居場所が「ここにある」、ということばを聞いたとき、どれほどの安らぎ、安堵が与えられることでしょう。マローンおばさんは、他者に対し、わがこととして、その想いを馳せることができる人なのです。

私は長年、絵本の出版に関わってきました。そして、子どもたちにとっていい絵本とは、いい物語とはどんな存在なのか、を考えてきました。答えは明確でした。子どもたち自身が教えてくれました。子どもたちが選び続ける本、もう一回読んで、と大人にせがむ本がいい絵本、いい物語なのです。では、どんな絵本を子どもたちが選び続けるのでしょうか。
『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』、『どろんこハリー』、『ちいさいおうち』、『おさるのジョージ』、『ちびくろ・さんぼ』……。日本の絵本では、『ぐりとぐら』、『からすのパンやさん』、こぐま社で私が関わった『11ぴきのねこ』や「こぐまちゃん」シリーズもあります。どの本も、絵本のいのちである絵が物語を語り、ストーリーがしっかりしていて、ことばが美しい絵本です。そして、さらに大切な要素として、これらの絵本は、みな子どもたちがその物語の主人公になりきることができるのです。子どもたちはなりきった主人公と冒険をし、心を動かし、そしてその喜びや悲しみをともにします。まさしく「喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい」(ローマ12・15)を、体験しているのです。
別の見方をすると、子どもたちは、絵本の主人公になりきるとき、その物語の中に自分の居場所を見つけているとも言えます。居場所は、安心と安全を伴う場所、と書きましたが、子どもたちが絵本や物語の世界に安心して入り込めるのは、そのような環境を大人が用意しているということでもあります。いつ自分の存在が脅かされるかわからないような不安の中では、どんなに優れた絵本や物語であっても楽しむことができないのは、そういう理由があるのだと思います。もちろん、それは一人ひとりの好みや興味とはまったく異なる次元の話だということはいうまでもありませんが。

さて、マローンおばさんの物語は、やがてマローンおばさんが朝、目を覚まさない、という展開が訪れます。ろばの背中にマローンおばさんを乗せ、動物たちが天国の門へと進んでいきます。門番の聖ペテロと動物たちがやりとりをしているところでマローンおばさんは目を覚まし、帰りましょう、ここはわたしの来るところじゃない、と言います。しかし、聖ペテロは言います。「あなたの居場所がここにはあります」と。なんと希望と慈愛に満ちたことばでしょうか。この世で孤独と悲しみを味わい、それでも他者に居場所を与え続けたマローンおばさんに用意されていたのは、神様から用意された永遠のいのちと真実の居場所だったのです。
私事で恐縮ですが、私はこの一月に九十歳になりました。こんな自分にも、きっと真実の居場所が用意されていることを確信し、平安のうちに日々の歩みを続けています。