時代を見る眼 283

マナ助産院 院長
永原郁子

いのちをみつめて [1] いのちのはじまり

神戸の北野の異人館辺りからさらに六甲山系の山並みを車で15分ほど登ったところにマナ助産院はあります。ここでこれまでに2100人ほどの赤ちゃんが産声を上げました。私は日々胎児や新生児、またそのママたちに寄り添う仕事をしておりますが、胎児はいつ人として認められるのだろうと疑問に思うことがあります。
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一般的には諸説あります。民法では胎児が母の体から全部出たときですし、刑法では胎児の一部でも母の体から出たときです。母体保護法では21週まで人工妊娠中絶を認めていますので、21週を超えてからと言えるかもしれません。その他、着床したときからとか、受精したときからなど考え方はさまざまです。例えば、妊娠中の女性が交通事故で亡くなったとしても、赤ちゃんは死亡者として数えられません。また着床を防ぐ避妊法がありますが、それは受精卵を人として認めていないということになります。
そもそもいのちは2つのいのちのもとである精子と卵子が出合うことから始まります。卵子は女性由来のものですが、精子が突入した瞬間、その受精卵は女性とはまったく別のイオン構造をもつ存在になるのだそうです。この現象から考えると、人として固有の人生がスタートするのは受精したときと言えます。霊的には「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなた知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し……」(エレミヤ1・5)とあるように母の胎に宿る前から神に知られている存在であることはもちろんのことです。
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お腹の中の赤ちゃんはどんどん成長していきます。妊娠3か月の終わりごろには大切な臓器がすべて形作られます。4か月で外の音を聞くようになりますし、5か月では記憶することができるようになります。6か月では匂いをかぐことができます。胎児はすでに人なのです。
しかし日本では、6か月の半ばまで人工妊娠中絶が許されています。年間18万人(実数はその倍ともいわれています)の胎児のいのちが奪われています。神はこのいのちに目を向けよとおっしゃっているのではないでしょうか。「あなたは私が胎児のときに、いのちを守ってくれましたか」と。