私はこう読んだ―『聖書 新改訳2017』を手にして 第4回
第4回評者
下川友也
元東京基督神学校校長。
日本同盟基督教団、日高キリスト教会牧師。
読むほどに味わい深い
私の聖書歴から
『新改訳』以前、当然のように私たちは口語訳を読んでいた。私にとってはこれが約十二年間。特に一九六一年から一九六四年は、神学生として杉並教会で過ごした三年間、小畑進先生の説教で、聖書の深さ、広さ、面白さを学んだ。それゆえ、聖書協会にも心から感謝している。だが、一九
七〇年に新改訳が登場。福音派の多くはこれに切り替え、私もそうした。なんせ私たちの神学校の先生方、当時の福音派のリーダーが参画してできたものであったから。
幸いなことに、一九七〇年十月初週に実行委員長の堀川勇先生が、新潟福音教会に来られ、説教と、初版本の宣伝をなされた。私は先生の来訪を知ったときから、絶好の機会と思い、集中して短期間で二回通読して、先生にいくつかの質問、意見をぶつけた。堀川師は丁寧に対応してくださり、普及のための定期刊行誌に、拙稿を掲載してくださった。私も三十歳そこそこであったが、今にして思えば、当時翻訳に携わった先輩教師たちも、今の私の年齢から考えると、非常に若々しかったといえる。福音派教会がこれから伸びていくという力を感じさせる頃であった。
四十七年を経てこのたび、もう一度新しくなった聖書に読後感を書くように導かれて、感慨深い。『聖書 新改訳2017』の翻訳に献身された先生方は、私から見れば少々若い世代になるが、初版のときからすると、平均年齢はずっと上だろう。それだけ福音派も人材が育成され、機が熟したといえよう。
読んでみて、満足、はなはだ良い
聖書はいのちの糧であるので、食物にたとえるのが良いけれど、私は日常関わるものだから衣服に、また牧師として説教に用いることから、みことばの剣にも例えられる。食物としては、もう三度三度のごはんのように飽きない。噛めば噛むほどに味が出てくる。衣服としては、着心地が良い。どこに行くにも、これだという感覚である。説教のためにというのも、これが一番、これ以外は使わない。もっとも、そうするために、そうなるために努力したことはもちろんである。幸い昨年は、最終稿を読む機会が与えられて七か月間、ひたすら2017版を読み続けた。都合二十二回、十月三十一日に出版されてからも、早く身につくように十回を読み終わろうとしている。つくづく翻訳者のご苦労に心から感謝している。
注文とか意見
それはもうたくさんある。ただし、すでに二〇一七年十月三十一日の宗教改革記念日にバンとしたものを出版されたので、そしてその意図、経緯、また「いのちのことば」誌での連載記事で詳しい解説があるので、ひとまずは十分満足である。
ただ、少し時間をおいて(やがて修正する箇所が必ず出てくるだろうから)第二版が出ることを予測すると、ぜひ願いたいのは、質問、意見の受付コーナーの常設である。以前にも、刊行会に問い合わせて疑問を解消させていただいたことがある。とても親切でよかった。べつに私が言わなくてもオープンなことは推測できるけれど、もっとオープンにご意見公募のようなことをしたらと思う。
私が若干の意見を言うとすれば(本文の大きなところは、もうほぼ納得なので)脚注の部分についてである。初版以来、新改訳は脚注がとても良いと思ってきた。今回も、委員会はそのことの継続を特色としている。でも、一~三版より後退している箇所をすぐにも見つけることができる。あるいは、本文と脚注を入れ替えたほうが良いのではないかという箇所も。むろん、私が異論を唱えても、翻訳委員の方がたの英知と信仰の結果であるから、それを認めるのにやぶさかでない。ただ、疑問、質問を受け付ける窓口を開いていただくと、それは大変良いことであろう。
裏話、エピソード
翻訳の最終段階で、携わっている委員の一人と親しく語らうことがあり、ご苦労の一端、また面白い裏話を聞くことができた。翻訳にまつわる学問的、知的関心を呼びさますような良い話は、担当したお一人ひとりにあるだろうと思う。個人名は出さずとも、委員会の編集でそのようなものをシリーズで出していただけたら、と思う。
とにかく聖書に親しもう
協会訳が今秋完成すると聞く。楽しみである。文語訳の簡潔さ、力強さはなかなかだ。いろいろな翻訳聖書に親しむなかで、信仰者が『聖書 新改訳2017』の良さを知られんことを!