特集 スピリチュアル・ディレクションって? 神の働きを気づかせる霊的同伴
日々の忙しさのなかで、いつの間にか神様の存在を忘れてしまう。新しい環境の中で戸惑ったり、長く通らされている試練に心が曇ったり―そんなとき、神様はどこにいて、私たちに何を望んでおられるのだろうか。
『修養する生活
―スピリチュアル・ディレクションへの招き』
スーザン・S・フィリップス 著、重松早基子 訳
四六判 304頁 定価1,800円+税
神の働きを気づかせる霊的同伴
翻訳者/カナダ・バンクーバー市 テンス教会 重松早基子
私が大学生のときですから、かなり昔の話ですが、野鳥好きの友人に誘われて探鳥会(バードウォッチング)に参加したことがあります。日本野鳥の会が主催するもので、場所は明治神宮。当日指定された場所に集合して小額の費用を払えば、確かだれでも参加することができたと思います。
参加者は小グループに分かれ、リーダーが散策中に野鳥を見つけては私たちに教えてくれました。確かに明治神宮周辺は深い緑に囲まれていますが、そこは都心の渋谷区。正直なところ、参加する前は多くの野鳥と出会えることなど全く期待していませんでした。ところが、リーダーのガイドを聞きながら同じ景色を見ると、そこが野鳥の宝庫であることがわかりました。
探鳥会に参加する前はスズメとカラス、ヒヨドリくらいしか知らなかった私が、その日は何と二十種類ほどの野鳥を観察することができました。しかも、御苑の池では「飛ぶ宝石」と言われるカワセミを発見。山奥の清流でしか見られないと思っていた鳥だけに、とても感激したことを今でもおぼえています。
野鳥の会のリーダーは、日頃街中でも見られる鳥の特徴や見つけ方も教えてくれました。私のお気に入りのシジュウカラは?の部分が白く、首からお腹にかけて黒いネクタイのような線があるのが特徴で、「ツツピー、ツツピー」という鳴き声が聞こえれば、シジュウカラが近くにいることがわかります。
その日を境に、私のまわりには多くの野鳥がいたことに気がつきました。以前から、それらの鳥はそこに存在していたのです。私の目に鳥が見えていなかっただけの話です。野鳥の会のリーダーが鳥の見つけ方をアドバイスしてくださったお陰で、今まで見えていなかった世界に目が開かれ、その後は野鳥を身近に感じて生活するようになりました。
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霊的同伴(スピリチュアル・ディレクション)は、私たちの目を神に開いてくれます。今自分の人生で働いてくださっている神に気づく喜びと感動は、美しい野鳥を発見したときの比ではありません。神は私たちの内にもまわりにも存在され、常に働いておられるにもかかわらず、私たちにはそれが見えないときがあります。信仰的に成熟した人でも、目の前の問題や忙しさのために目に覆いがかかって、神が見えなくなってしまうことが往々にしてあります。神のみこころがわからない、あるいは神から見放されているように感じる経験は、長い信仰生活の中でだれもが経験することではないでしょうか。
霊的同伴では、霊的同伴者(スピリチュアル・ディレクター)と呼ばれる人が被同伴者(ディレクティー)の話に耳を傾け、今神がその人に語っておられることに気づくよう助けます。しかし、同伴者は野鳥の会のリーダーのように、直接被同伴者に教えたり、アドバイスを与えたりしません。実は、霊的同伴におけるリーダーは聖霊です。聖霊が直接、被同伴者に神の働きを示してくださいます。それでは同伴者の役割は何かというと、聖霊に示された質問をすることによって、普段は隠されている心の奥まで被同伴者の意識を掘り下げていくことにあります。それにより被同伴者がより深い自己理解に至ったり、心が神に開かれて、聖霊の声に敏感な状態を作ります。そこが、霊的同伴の最もユニークな点です。
同伴者はただ話を聞くだけで、問題を解決してくれないのかと疑問に思う人もいるかもしれません。野鳥を発見するために、まず外に出て散策する必要があるように、私たちは神を知るために信仰の旅路を歩む必要があります。この旅路は、決してひとりで歩くべきではありませんし、ひとりで歩くことはできません。信仰の旅路に同伴してくれる人を持つことは、大いなる恵みなのです。
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『修養する生活』の著者スーザン・フィリップスは、経験豊かな霊的同伴者です。彼女は、サンフランシスコ神学校や一般信徒のための神学校ニュー・カレッジ・バークレイで何十年にもわたり牧師や信徒に寄り添いながら霊的形成と霊的同伴を教えてきました。本書には、霊的同伴者だからこそ聞けたクリスチャンの本音をもとに、忙しくストレスの多い競争社会の中にあっても神と深い交わりを持って成長するための実際的な霊的修練の知恵が満載されています。
具体的には、神と人の声に対して聴く力を養うこと、神と交わるスペースを持つために安息日を守ること、注意力を養う修練として黙想の祈りやレクティオ・ディヴィナ、神と人との関係を深める修練として霊的同伴や霊的な友情など、霊性を修養する生活について詳しく解説されています。
霊的同伴は、霊的形成にはなくてはならない修練の一つです。霊的形成とは、私たちの内にキリストが形造られるプロセスをさしますが、不思議なことに私たちがキリストに似た者になればなるほど、自分らしさを発見していきます。それぞれが神によって造られた元の姿に回復し、成長していきます。
そのプロセスには大まかなパターンは見られるものの、私たち一人ひとりはユニークな存在として造られているので、形成の仕方も人それぞれ違います。神が今、自分の人生で何をしておられるのかを霊的同伴によって知ることは霊性の成長には欠かせません。
また、執筆中に著者の両親と友人が亡くなったことを受け、良き人生の終わり方について深い洞察が随所に見られます。特に私たちが次の世代に遺すものについて書いてある章からは、永遠へとつながる希望が与えられるように感じました。本書は、クリスチャンにとっての終活とは何かを考えさせられる一冊でもあります。
今日本の教会でも霊的形成の学びが広がりつつあるようですが、本書をきっかけに霊的同伴に興味を持つ人が増え、今後プロテスタントの世界でも霊的同伴が一般的に行われるようになることを切に望んでいます。